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新年おめでとうございます。 [独り言]

PC021523日の出.jpgアケマシテ オメデトウ ゴザイマス

今年は何とかこのブログを続けてみようと思っています。



お墓参り [独り言]

2月21日は平成18年93歳で亡くなった母の命日、毎年この寒い時期に墓参りに行くが、不思議とその日は小春日和の様な晴れの日が多い。最近、温泉大好き人間のボクも先月の熱川温泉からはご無沙汰しているので、どこかお墓参りの高尾墓苑の近くにないかなぁ?とマップル地図で探すと相模原市緑区に(薬膳うどんなど体にいい食事も出来る)と云うコメントの「ふじの温泉 東尾垂の湯」が目に入った。

よし墓参りをしながら、温泉に入りながら、子供達の家に寄りながら、高尾、相模原緑区、愛甲郡、大船と神奈川県を輪を描くように一回りのドライブになるが出掛けた。 今年は家の者が文旦(ボンタン)と云う大きなかんきつ類を頂いたので、それの皮で3・4日掛けて砂糖をまぶしたピールと云うお菓子の様なものをこしらえたので愛甲郡と大船に住んでいる子供達に配り、なんと愛車のスバル・プレオ軽自動車のこの日の走行距離は212.4kmだった、そして累計走行距離は231,745kmになり、ボクと同じ様に大分くたびれて来た。

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母さん、今年も来ました、もうすぐ一緒に入るからね!

新年おめでとうございます [独り言]

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横浜、富岡沖から対岸の千葉木更津方面から上がる旭日(残念ながら初日の出ではない、12月の20日近辺の晴れた朝に撮ったもの)

新年おめでとうございます。

アッと云う間にもう正月も五日を過ぎた。元旦に三姉妹の家族達があつまり、今年は暮れの大晦日から煮物の準備、干しシイタケを戻したり、煮干しから出汁を取ったり、ボクには初めての挑戦になる。レシピ通りに準備したお陰で、家族達には好評だった。昨日は恒例の北鎌倉からハイキングコースを歩いて鎌倉、銭洗い弁財天へお参りし、「勝烈庵」でヒレかつ定食とビールを飲って毎年同じ事を.....。あと何回お正月を迎える事が出来るのか、ふと考えてしまう歳になってしまった。

壁画 岡本太郎画伯 [独り言]

今年の1月、東京の知人宅を泊まりで訪れた。その日の翌日、朝から大雪が降った。帰りに吉祥寺から井の頭線に乗って渋谷駅にたどり着いた。マークシティビルで買い物をしてJR渋谷駅へのコンコースで岡本太郎画伯の壁画を久し振りに見た。大きな壁画で24mmの広角レンズでも全体は写せない。反対側にスロープ状の通路があって、わざわざそこへ行き、しばらく眺めていた。

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渋谷のコンコースにて、全体画ではないので作品「明日の神話」に対して失礼なのだろう....。

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住まい近くのお散歩道にある並木幼稚園の建物にモザイクのタイルでの壁画、1980年幼稚園創設時の作品「海辺の太陽」、園児達はこの絵画を見てどう思うのだろう?そしてどの様な影響を受けるのだろう?知りたいものだ。

参考URL: http://inax.lixil.co.jp/company/news/2009/090_company_0908_470.html

ボクはどうもピカソなどの抽象画はどうしても理解する事が出来ない。もともと牧進画伯や犬塚勉画伯などの日本画や写実的な絵画を見てきたからなのだろう。何時だったか、NHK-TVで諏訪敦さんと云う写実画家の依頼された絵画を作成する過程を「記憶に辿りつく絵画」として放送していたが、長い時間をかけて取材をし、その内面を抉る様に表現する様には圧倒された。

参考URL - 記憶に辿りつく絵画 ~亡き人を描く画家~: http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2011/0626/index.html

ただ、岡本太郎画伯は「芸術は爆発だ!」と、ユニークで眼光鋭くカッと見開いて物事を見る姿勢に共感を覚えた事がある。

もう少し暖かくなったら友人達と千葉にある写実絵画専門美術館のホキ美術館にでも行って楽しいんで来たい。

近所の散歩 いつものお散歩コース [独り言]

最近気になっている事がある。いつものお散歩コースにある樹木が無残にも伐採されている。今の季節に虫に食われているとか、枯れているとか、そんな樹木ではなかったはずだ、もしそうだったら毎日のように散歩しているボクにも気が付くはずだ。

いづれも30数年以上の大きな樹だ。横浜市環境創造局でなく環境破壊局の仕業に違いない。その伐採した樹の傍に理由を記したものを掲示するのが住民の余計な心配を防ぐ事にもなるし、当然のサービスだと思う。

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富岡川の傍に立っていたクスノキ、立派な樹だった。他に数本伐採されている。

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富岡東中学校の校庭に面した道路、十数本伐採されている。

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富岡八幡宮境内の大イチョウ、これは御神木のようだから、永遠に伐採されることはないだろう、自身が朽ち果てるまでは.....。

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寒い日が続いているが、お散歩道の梅林は7・8分咲きに近い

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八重の紅梅も二本あるが、その中のひと枝から......。

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船だまりの池に寄るとキンクロハジロがスゥーッと寄って来た。「餌、持って来て無いから、今度ね!」


近所の散歩 いつものお散歩コース [独り言]

高血圧症、高脂血症の診断がなされてかれこれ10数年になる。医師の半ば強制的な勧めでお散歩が日課になっている。普段は朝9:30頃からゆっくり歩き出す、家の者は「たまにはコースを変えたら、逆に行くとか...。」でもボクは頑なに同じルートを散歩lする。樹木、草木、石など、それぞれの順番通りに挨拶をしてお散歩をする。特に植物達は暦通りに芽吹き、殆ど化石状態の枯れた様な枝の先から新芽を覗かせている。自然の摂理に脱帽だ!と云うボクもその一環なのだが......。則ち、生じては(もうだいぶ生きてきたなぁ~)滅す(そろそろその時期かな?)。

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紫陽花の新芽

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ユリの木の新芽、葉の形から半纏木とも云う

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お散歩コースの梅林

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梅の木の蕾、少し膨らんで来た

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梅の花、一輪だけ寒そうに咲いていた。

明日は、風が無く小春日和だったら、逗子の小坪漁港まで自転車で行ってみよう。久し振りの遠乗りになる。
2009年6月21日のボクのブログより小坪漁港での写真を転載

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逗子・小坪漁港にて、愛車ブリヂストン・ユーラシア(Bridgestone Eurasia purchased on 1981)、トヨタのプリウスより省エネの点では性能は良い、何キロ走ってもガソリンは要らないし、排気ガスも出さない(さり気なく出る時もある)。究極の環境に優しい乗り物?である(時々、燃料のビールを補給したくなるのが難点、でも我慢我慢!)。

関連ブログ - 散歩 サイクリング逗子・鎌倉:http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-06-21

飾り凧 武者絵 - 源頼朝 [独り言]

家の者が近くのJRの駅ビルにあるミニ・ショウルームでパッチワーク展をやっているから見に行こうと出掛けた。会場の入口付近に、もう松の内もすぎたのに、色も鮮やかな飾り凧があった。1月中はお正月気分が、ボクのように仕事から離れていると、まだ続く。その凧の武者絵は「頼朝」だ。この辺は鎌倉に近いので「源頼朝」なのかな?

ボクは男の子を育てた事がない。よく近くの広場でお正月前後には父親が男の子と凧揚げなどをしているのを見ると羨ましく、未だに、思える。去年生まれた孫も女の子だ。しかし、最近は女の子で良かったとつくづく思うようになった。何かに付け母親に相談しに来るし三姉妹とも同じ県(市)内に住んでいるから比較的頻繁に訪れて来る、それに優しい。その子供達も年齢相応におばさんになって来て貫禄と云うか、それぞれの家庭をしっかり守っている様なので父親としては嬉しい。

今日、23日は24日に行く予定だった「箱根の湯」へ雪の天気予報の為、急遽変更して行くことになった。ボクは家でぐうたらして、その疲れを癒しに温泉へ、....頼朝は戦の疲れを癒すために温泉に入ったのだろうか?

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何度も見入ってしまった武者絵の六角凧

そう云えば、去年の秋に頻繁に訪れた群馬県の川原湯温泉、源頼朝と縁が深いらしい。

「川原湯の歴史- 源頼朝の温泉と湯かけ祭り」
建久4年(1193)、源頼朝が浅間狩りの折り、今の川原湯のところを通りかかりました。その時、山の中の中腹から湯煙が出ているのに気づき、温泉を発見したのです。そこで頼朝は、そばにあった大きな石を王石(またの名を衣掛石)と呼ぶようになりましたしかし、この石は昭和の初め、温泉街の道路を拡張する時に土中に埋めてしまい、今は残念ながら見ることはできません。)それから約400年が過ぎたある日のこと、突然温泉が出なくなってしまいました。村人達は困り果てましたが、そのうちひとりが温泉の匂いをかいだところ、ニワトリの卵をゆでたにおいがします。そこでニワトリを生贄(いけにえ)にしてお祈りしたところ、お湯が再び出てきたのでみんながお祝いをすることになりました。初めは「お湯わいた、お湯わいた」と言って喜んでいましたが、そのうち「お祝いだ、お祝いだ」と言ってみんなでお湯をかけるようになりました。 これが、厳冬の朝、賑やかに行われる奇祭「湯かけ祭り」の始まりということです。 .....とのこと。

肝心のパッチワークの作品はいづれも力作でしたが、ボクのお気に入りは丹前のような模様の藍色の作品で、「ひと針ひと針、魂を入れて縫う」と会場におられた方が仰っていました。その方の作品を拡大してみました。

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カラフルな作品が多い中で藍色のボクのお気に入りの作品

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ひと針ひと針入魂の力作、拡大してみました


 [独り言]

「旅」、そう云えば旅をしてない。「心の旅」としては、あれこれ思いをめぐらし、あそこへ行って見たい、こちらへも行って見たいと思っているが、健康面での体調を考えると、家の者の同行が必要であろう(体力に自信が無い)。そうなると、色々制約があるから本当の意味での「旅」にはならない。やはり独りで行くのに限るのが私の「旅」だ。

万葉集に『家にあれば笥けに盛る飯いひを、草枕旅にしあれば椎しいの葉に盛る』と...。私流なら、『家にいる時は茶碗でご飯をたべるけれど、旅に出たらキャンプの時使っていたアルマイトの食器で食べる』となる。そう云えば去年の4月に福島・山形の仏塔を訪ねる旅を最後に、旅らしい旅をしていない。
旅館、ホテル泊での老夫婦の気侭な温泉旅行はある、それはそれで楽しい。でも本当の「旅」をせずに一年を無為に過ごしてしまった感じがする(残り少ない人生を考えると)。

せめて、旅に出られないので心が錆び付かないようにと、『風の旅人』と云う本を購入している。広告の殆んど無い本は近頃珍しいので続けて購読しているが、2010年2月号で下記の記事があった。映画監督の小栗康平さんの『見ようとする意思』からの抜粋ですが...。

 『デジタルカメラは、電気的な信号を画像の情報とする。まったくの闇では写らないけれど、弱くてもひかりがありさえすれば、原理としては像を結ぶ。画面外から反射してきている光の、さらにその反射光であってもいい。つまりは光の方向を問うレベルではないところまで、光がよわまっていてもいい。こうなると、陰影による描写と言うよりは、色、だけになる。しかしここで抜け落ちてしまうのが、空気感だ。これがいかんともしがたい。湿った空気の層が写らない。
 それならフィルムは空気か写るか、といわれれば、写る。どうして写るかと聞かれると、私はうまく答えられない。でも写る。大気中に微細な粒子がいっぱいあるはずだ。汚れたり、湿ったりしているそうした空間を、ひかりは通ってくる。通って、目に、レンズに届くのだから、通ってくる空気、大気が関係しないはずはない。でもデジタルカメラは光学ではないのだ。光を束としては受け止めず、ドットに分割し、分散する。』

ショックだった。いち早くデジタルカメラを使い、さらに画素数の多いカメラに買い換えて来た自分は一体何だったのだろう? どうりで、自分の写真に深みが無いのが理解できた。
除湿ケースに昔のフィルム一眼レフカメラ、Canon EOS Rebel G(約15年前の北米仕様、日本ではCanon EOS kiss)があったので、早速富士フィルムの Superia Premium 400 (いかにも綺麗に撮れそうなネーミングだ)を買って来て、たちどころに27枚の試し撮りをして来た。現像に時間がかかるので未だプリントは見ていない。
添付の写真は約40年ほど前にOlympus Pen-F 1.8/38mm (リバースリング使用)でカゲロウを接写したものですが、黒白のフィルムなのに儚い生命感が漂っているように見えます(独りよがり)。

よっし!「旅」に出よう、体力が少しでも残っている内に...。連休前の渋滞をさけて京都・奈良方面に行きたい、仏塔の撮り残しがある。でも気分によって何処へでも行ってみよう、東北地方の鄙びた温泉地もいいな、それとも名も知れぬ山間部の峠道。カメラの機材を全部持って、三脚は大小と一脚、カメラはOlympus E-300, Pen E-P1, Camedia C-8080, C-750 そして Canon EOS Rebel G。 レンズは Olympus Digital 2/50mm, 2.8-3.5/11-22mm, OM 4/200mm, Pen-F 4/150mm, 1.8/38mm。

考えただけでも、楽しいなぁッ~?

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クサカカゲロウ、約40年前の写真 Olympus Pen-F 1.8/38mm




生活習慣病 [独り言]

昨日3月24日、冷たい雨の降りしきる中、川崎市にある病院と東京の歯科医に定期検診のため車で出掛けた。嬉しいことに血液検査は血糖値が前回200だったのが126に下がった。健康値はMax109だから、もう少し節制すれば、と云ってもご飯(普段からそんなに食べてない)と甘いもの(家の者が比較的甘いものが好きなのでどうしてもお菓子類を食べてしまう)を減らさなくてはならない。それと運動量を増やすことなのだろう。

歯科医も歯槽膿漏気味の箇所が改善されているので、もう少し歯ブラシをつかって歯茎をマッサージするようにとのアドバイス、それに「年齢にしては綺麗な歯なので、もったいないから...」などと話ながら、手加減しないでゴリゴリと乱暴に歯石を掃除する。治療と云えば聞こえが良いが、「まな板の上の鯉なのだから...」と患者が痛がるのを面白がるかのごとく、身体はこわばるし、痛さの我慢をするのも限界があろうと思ったが、これ程念入りにしてくれるのは親の代からの親戚付合いをしていたからだろう。

東京の小田急沿線の世田谷通り、そして環八道路。比較的有名な住宅地を通り歯科医のある板橋に向かったが世田谷の「砧」辺りで、安売り衣料品スーパーのイメージがある「ユ二クロ」のお店、それと高級食料品ストアのイメージがある「クイーンズ伊勢丹」があった。ユニクロは中国製の衣料品を破格値で売りまくり、経営者は日本でトップの所得を稼いでいる。そのお陰で、老舗の日本製の衣料品を扱っていたお店がどんどんシャッターを下ろしてゆく。困った現象だ。実は、三月程前、初めて住まい近くの「ユニクロ」で一枚¥980で冬物の厚手のシャツを二枚買ってしまった。アイロンをかけてみると判るのだが、15年以上も前に買った日本製のシャツは縫製が丁寧で脇のスリットの部分には当て布がしてあり、着心地も良い。今では非常に後悔している、昔の人が言っていた「安物買いの、銭失い!」。 でも、年金生活の身分では、シャツ一枚を¥20,000で高島屋で誂えることは今後無いと思うとちょっと物悲しい...。

話は変わるけれど、今は「ニンニク」は中国産は絶対に買わない。青森産のものを買っている。以前、中国産のものを一袋2kgぐらいだったと思うが¥350で「コストコ」で買ったことがある。青森産は一つで¥250ぐらいしていた。しかしこんなに値段が違って良いものだろうか?料理に使ってみると、皮は剥きづらいし、どんな土壌で作っているのかも得体が知れない、さらに青森産と比べると一粒一粒の質感が違う。中華料理にパスタ料理にニンニクを多用するのだけれども、安心を買うような気持ちで(普段節約に徹しているのだけれど)何の抵抗もなく高い値段の青森産のニンニクを買っている。 なんだか、ささやかな「古希爺さんの抵抗」と云われそうだ!

先日の確定申告で分かったのだが、医療費に健康保険料を含め年間、約¥500,000ほど出費している。2000年から生活習慣病の治療を受けているのだから、もし健康だったらおよそ¥5,000,000の節約が出来た事になる。単純計算だけれど、これを考えてみても健康が第一であるのが良く理解出来る。

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麻生病院、小田急線柿生駅近くの総合病院。待ち時間があったので玄関付近を撮ったもの

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ユニクロ、砧店。歩道のフェンスが東京都のイチョウのデザイン。雨の中の都心のドライブは疲れる

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歯科医の飼い猫。妙に目が澄んでいる




富士山-私の好きな写真の一枚 [独り言]

この富士山の写真は2008年11月に学友達と山梨県の西山温泉、奈良田地区を訪れた時、途中の本栖湖畔から撮った写真である。くねくね道をドライブして、本栖湖近辺の山陰から雲一つ無い富士山が現れた時は思わず「ホウッ~」とうめき声のような奇声を発したのを覚えている。あまりの美しさに、車を道路脇の空き地に止めて、写真を撮るのも忘れて、しばし見とれていました。

この様な雲一つ無い富士山には、その後、何度か同じ場所、本栖湖畔を訪れたがお目にかかっていない。もう少し暖かくなったら、違った表情の富士山の写真を撮りに行ってみよう。

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富士山、2008年11月14日撮影 カメラ:オリンパス E-300 F5.6 1/250

関連ブログ- 富士山 http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-07-02


母のお墓参り [独り言]

2月21日は母の命日である。今年は、その前日、2月20日に三女の結婚式が行われたので、母のお墓参りはちょっとずらして、昨日2月24日に高尾まで出かけた。

母に三女の結婚式を報告した。ウェディングドレス姿の娘は幸せに輝いていて、私にはまぶしかった。願わくば母にも見て貰いたかったが、今から4年前の平成18年に93歳で亡くなってしまった。

まるで初夏のような暖かさでお墓迄の坂道を登って行くと汗ばむほどであった。墓苑から見える遠くの山並みは落葉樹で色彩がなく、稜線がハッキリするはずなのだが、春霞で視界は冴えなかった。

帰りには、国道20号を山梨方面に進み、大垂水峠を経て相模湖から道志道を相模原・橋本に出て横浜に戻った。往復、6時間のドライブは、運転好きの私にも疲れを感じさせた、やはり歳には勝てないのを実感した。

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高尾墓苑




最近のTV放送と政治家 [独り言]

このところ、日本相撲協会の横綱、朝青龍関の引退についての報道が多かった、それと民主党、小沢一郎幹事長の不起訴の報道だった。

朝青龍関については、以前から土俵上でのダメ押しがあり、見苦しく嫌だった。家の者と今年の初場所のTVを見ていて殆どの勝ち勝負で十中八九はダメ押しをするのに嫌気がさしていた。そのマナーについて時々、相撲解説の方やアナウンサーが「いけませんネェ~」と云っているのを聞いてはいたが、日本相撲協会の中では、長い間、大した問題になっていない様だった。大勢の相撲ファンの方はどう思っていたのだろうか、朝青龍関のファンもその抜群の強さに見せられて多かった様に思えるが、その土俵上のマナーには比較的無頓着なのだろう。力士も芸能人だから人気があればそれで良いのだろうが、なにやら日本の伝統文化だとか云われているのには閉口する。

他の力士の取組みでは、勝負が付いたら瞬間的に、相手が土俵下に落ちないように手や回しを手繰ったりして相手の転落を防ぐようにしている。もちろん勢いのある体勢では、もんどり打って土俵下に落ちる場合も多いが、やはり日本の伝統文化なのだから、勝負の世界でも相手を慮る姿勢が所々見えるのが清々しい、そして惻隠の情にも通じるものがある。

ところが朝青龍関は土俵外でのマナーで引退する事になってしまった。私もそのTV放送を見て家の者と思わず「良かったね、後味の悪い相撲をこれから見ることが無くなって...」.。

色々な有名人の解説や印象の取材がなされ、一番面白かったのは、自民党の新人、小泉進次郎衆議院議員の「朝青龍関が責任を取って引退したのに、民主党幹事長の小沢一郎が責任を取らないのは如何なもんか...」と述べていた。芸能人と政治家を一緒にする彼のセンスは、やはりいつも大勢の人に囲まれている人気者故、芸能人的なコメントの粋を出てないと思う。

彼は住まい近くの神奈川11区からの選出なので自民党の中では注目していた。そして芸能人まがいの人気があり、TVでも自民党関連の、事ある毎に引き出され、話題になっているが、経歴を見ると米国コロンビア大学芸術科学大学院へ留学し、政治学科?修了とある。思わず先日の自民党大会に招かれた野村監督の奥さん、野村沙知代さんを思い出してしまった。

どうかお若い小泉進次郎議員が自民党の中で父上の小泉純一郎元議員を越える大物政治家になって貰いたい。 米国一辺倒の信奉者でなく、日本の国民、そして伝統文化を守り抜く政治家になって貰いたい、そう願ってやまない。

一方、同じ神奈川15区選出の自民党、河野太郎衆議院議員は私の好きな政治家の一人である。はっきり物事を云うし、そして公平公正な物の見方が出来る稀有な政治家でもある。今回の民主党幹事長、小沢一郎衆議院議員の件で、その不起訴になった検察の判断の前に彼の1月21に付け下記ブログ「副大臣がやりのこしたこと」と云う題でこう述べている(一部抜粋)。 因みに彼の経歴を見ると米国ジョージタウン大学卒業(比較政治学専攻)とある。

http://www.taro.org/2010/01/post-698.php

「僕が法務省の副大臣をしていたときにホリエモン事件があった。そのときにすごく気になったのが、XXXという供述をしているというニュースが毎日のように新聞やテレビで流れたことだ。 なぜ取り調べの供述が外に漏れるのか、取り調べをした検事の責任はどうなっているのかということを秘書官に調べさせた。秘書官は検察庁にいくわけにはいかないから、法務省の幹部に副大臣がこう言っていると聞きに行ったのだろう。戻ってきた答えは『接見した弁護士が漏らしているのではないか』  僕はぶち切れた。当時の杉浦法務大臣は、さらに検察の聞きたいような供述をするとすぐに外に出られるけれど、そうでないとなかなか出られないという状況もおかしいと、いくつかのことを検討させた。そのうちに小泉内閣が総辞職した。 最近の石川某がこういう供述をしているという報道は、明らかにおかしい。日本の司法制度では、有罪が確定するまでは無罪である。被疑者の段階で、あたかも被疑者が悪人であるというような世論を作らんが為のリークを検察がするのは間違っている。(そんなリークをする弁護士は懲戒の対象になるかもしれない)。被疑者の人権問題になりかねない。 検察のリークがほしいマスコミは、まるで飼い主からえさをもらう犬のように、飼い主には吠えず、ただ気に入られようとするあまりにしっぽをちぎれんばかりに振ることになる。検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判ができるのか。検察がもし間違ったことをしたときに、マスコミがどれだけそれを報道できるのか。 一部のマスコミはそれを報道の自由だという。接見した弁護士が漏らしているという検察と同じではないか。今回の事件で、検察のリークを批判し、検証したマスコミがあったか。記者クラブなる既得権にしがみつき、取材対象となあなあになっているマスコミが報道の自由などという錦の御旗をふりかざすべきではない。 検察のリークがあったと思われる場合には、法務大臣が検事総長なりに記者会見を開かせ、そうした事実があったかどうかを確認させるべきだ。もしそうした供述はなかったというならば、その後、裁判でそれに反する供述は使えなくなるし、そうした供述があったというならば、取り調べた検事が処罰されなければならない。 同様に、検察と闘えという首相も首相だが、首相補佐官や政務官の一部が検察批判をしているのも議院内閣制に反する。文句があるならば、政府の職を辞していうべきだ。法務副大臣時代に、裁判所から法務省に来た裁判官が、民事局長などの職に就き、入札ルールをねじ曲げて民事法務協会に業務を発注しているのを見て唖然とした。官製談合をやっている人間が裁判官として裁判所に戻るのだ。しかも、ほとんどそうした問題を法務省の記者クラブは追及してこなかった。 裁判員制度が始まったことでもあるし、日本の司法制度をもう一度きちんとあるべき姿にしていく必要がある。」

実に明快であり正論である。民主党の議員にも彼のこのブログを見て貰いたい。自民党にはこのような見識を持った政治家もいるのだ!同じ自民党でも芸能人的な政治家も、本当の政治家もいる。河野太郎衆議院議員にはなんとか自民党を立て直して民主党と切磋琢磨し、この日本を公平な司法が行われ、住み良い国にして貰いたい。

なぜなら、宗像紀夫氏(元東京地検特捜部)がTVで東北地方でのゼネコンから何らかの収賄を受けて便宜をはかっている疑いがある、との事をしきりに述べている。野党時代の小沢一郎事務所が国土交通省に何らかの力をもって、ゼネコンに意のままに仕事を回していたとしたら、政権与党の自民党は当に死に体で選挙に負けるのは当然であった。

自民党は河野太郎衆議院議員を党首(総裁?はいらない)にして次の選挙で民主党と戦ってもらいたい。自民党が日本の将来をどうしたいかを発信している数少ない政治家である。他のTVで見る自民党の政治家御仁達は民主党の鳩山・小沢問題のみに言及するだけで、これからの自民党の政策や党の新生(舛添要一参議院議員は再生ではだめだと云っている)をどうしたいのか述べる力もないようだ、可哀そうに思えるのは私だけなのだろうか?

初詣 (A happy new year) [独り言]

遅ればせながら、新年おめでとうございます。

三箇日は住まいでお正月料理を寝ては食べしていたら、体重も年齢と同じ「アラ古希」すなわち70kg台に達してしまった。つい先達って「アラ還」と云う言葉があるのを知って、さて今の私の場合はどうなのか?なんと「アラ古希」と云うそうだ。そう云えば娘たちは三人とも「アラフォー」になる。それぞれ、元旦に旦那達を伴って訪ねて来てくれたが、狭い我が家はテンテコ舞いになってしまった。普段とは違う賑わいにチョッピリ疲れて自分の齢を意識した一日になってしまった。

今日、1月4日は毎年恒例の鎌倉銭洗弁財天に、JR北鎌倉駅近くの北条時宗公が建立した円覚寺に寄ってから、山間のハイキングコースを散歩しながら初詣に出掛けた。久し振りの起伏に富んだ鎌倉のハイキングは息は絶え絶えながらも気分が良かった。

鎌倉銭洗弁財天は巳年生まれの神様と云われてるので、横浜に移ってから、もう二十年以上、新年には必ずお参りしている。何とかこうして元気でいられるのが、ご利益なのだろう。お賽銭を投入れ、家族、友人、知人の健康をお願いした。境内のお店で甘酒とおでん、御酒を一本頂いた。そして鎌倉駅近くの勝烈庵で食事をして、駅前でお土産のお菓子、鳩サブレを買って帰路についた。毎年、同じ事の繰り返しであるが、あと何回続けられるか?

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新年おめでとうございます。鎌倉銭洗弁財天入り口

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円覚寺境内、北条家の幕紋三つ鱗に挟まれてポーズ

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円覚寺、ある門扉(右)の彫刻

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門扉(左)彫刻

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ハイキングコースで見かけたツバキ

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ハイキングコースで見かけたアジサイ(ドライフラワーになっている)










年末のお掃除 [独り言]

年末のお掃除、水回りは私の担当になっている。お風呂、トイレ、洗面台、そして台所。私は料理をする、と云ってもヤキソバ、チャーハン、ラーメン、味噌汁、野菜炒め、野菜スープ、ローストビーフ、餃子、ハンバーグなどが、どちらかと云うと得意のレシピである。もちろん魚類も鯛やイナダ、サバ、アジ、サンマなど一匹のを買って来て自分で下ろす。鯛など、背開きにして干し、焼き魚にして(グリルに入れるのに一工夫をするが)食べると、柑橘類を少々搾って、すごく美味しい。頭や骨、皮をそのまま出汁にして大根と煮る(炊く、と書いた方が良いのかな)とさらに二度、美味しさを味わえる。「腐っても鯛」と昔から言われていたが全くその通りだと痛感する。

普段使わせて頂いている台所を念入りにお掃除をした。特にガスレンジ周りの油の飛び跳ねの汚れや普段手の届かない所や壁面も....。10年以上も使っている古いレンジだけれど、愛着があるので、とことん磨き上げた。全ての包丁も研いで新年のささやかな料理のために準備を整える。

12月の初めに知人から「身欠きにしん」の半生を頂いた。家の者にフキと煮てもらい、懐かしい味を思い出しながら頂いた。なぜかとっても美味しかった。それを思い出し、先日、干からびた「身欠きにしん」を買って来て、お正月用にと、フキも二把買って来て、子供達が来たら食べさせようと思っている。家の者は昆布巻きにして見ると云っていたが、どんな味になるのか今から楽しみにしている。

慣れない筋肉を使ったので、いささか疲れ、ところどころ筋肉も痛い。いつもの日帰り温泉、箱根の湯へ今日は行こうと空いている海岸沿いの道をのんびりドライブ。湘南の海は晴れ間がのぞくが曇り空だったが、そんなに寒くはない。温泉に浸かり、時々こわばってしまう指を揉み解した。帰りに小田原の「かまぼこ鈴廣」でお正月用の品を買った。

今日31日は愛車、買ってから29年目になるブリヂストンのユーラシア、自転車を磨いて初日の出を見に行こう。

この歳になっても(アラ古希の齢が一つ増えるのに)お正月が来るのが待ち遠しい。

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湘南の海、国府津付近。

厚木シロコロホルモン焼‐千代乃 [独り言]

長い間更新せずにいましたが、時折、不定期になりますが、記事を載せたい時に、ボチボチやってみます。

このところ首の辺りが寝返りが打てないほど痛くなる。温泉にでも行けばよくなるかなと、前々から「今年中には会おうぜ!」と約束していた友人W氏と箱根湯本で昼過ぎに待ち合わせ、日帰り温泉「箱根の湯」に行きました。一風呂浴びる前に大船駅で買い求めておいた鯵寿司と焼き鳥をビールで美味しくいただき、お互いの健康状態の話、家族の事など取りとめのない話をしながら再会を楽しんだ。かれこれ高校入学時からの友人なので、52年にもなる交友関係になる。

その後で、露天風呂に入り気持ちよく足を伸ばし身体をリラックスさせ、ヒンヤリとした外気が気持ちよく、それが結局長湯になってしまい、出たあとでフラフラしてしまう程であった。

友人はホルモン焼きが好きなので箱根湯本から小田急線の途中駅、本厚木で下車して、厚木シロコロホルモン‐千代乃(So-net blog そらまめさんの以前の記事で知りました)に行く事にしましたが、夕方の暗くなってからの雨は冷たく、物好きにも程があるなと自嘲しながらバスで駅から15分も乗った辺鄙な場所にあるお店に着きました。夕方5時ちょっと過ぎに着きましたが、先客の二人連れの男性達がカウンターに居て、我々も同じように一つ席を空けてカウンターの椅子に座りました。程なく炭火の七輪がテーブルに載せられ、どうやら網の上で自分で焼きながら食べるらしい。

シロコロとは豚の白い大腸をきれいに洗浄して、それを生のまま管状に切り、七輪の上で焼いているうちに転がるようになるので白コロとなったとのこと。どうやら匂いの出ない新鮮さが勝負らしく特別の業者のルートが確立されているようです。友人はそのシロコロ、子袋、ハツ、軟骨、レバーなどをたのみ、美味しいと云いながら沢山ビールを飲んでいました。私は慣れていないでので、内臓以外の豚ハラミとか牛ハラミをたのみ、これが炭火の直火で焼くので牛の肉の厚さがちょうど良かったせいか、さらに焼肉屋のより大振りの切り身だったので、意外と美味しくいただきました。

このお店には取材のTV局や芸能人がしばしば訪れるそうです。ご主人は「人様々で、それなりに対応している」とのことですが、その中で、阿藤 快さんなどは食通でもあり、好人物のお一人であったと話しておりました。先客の二人連れとも和気藹々と話が弾み、遠方から、やはりシロコロホルモンを目指してこのお店にお見えになったとのこと、我々と同じ狢なのには大笑いになりました。彼等が来る前に今日も地元局のTV神奈川の取材があったそうです。

最後にお店のラーメンを頼み〆ました。豚の内臓を焼いて食べた初めての経験でした。それにして横浜新都市交通、JR京浜東北線、JR東海道線、小田急線と沢山の電車に乗れて久し振りに童心に戻れました。相変わらず首の痛みは取れないので12月8日・9日と二泊三日で伊豆熱川温泉に行って来ます。

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箱根の山々は雨で煙っていた。

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小田急ロマンスカーが停車していたので....

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厚木シロコロホルモン・千代乃の店主と記念撮影

関連ブログ ‐ So-net そらまめさん:http://kyusyoku.blog.so-net.ne.jp/2009-05-03
厚木シロコロホルモン・千代乃のHP:http://www.atsugi-rush.jp/chiyono4656/dokutoku.html 


日本(ニッポン)の佳き時代 [独り言]

最近、DVDで藤沢周平原作、山田洋治監督の江戸~明治時代の映画を立て続けに観てしまった。それらは「隠し剣、鬼の爪」、「武士の一分」、「たそがれ清兵衛」である。主役や脇役もそれぞれ適役で、いわゆる武士の人情物、さすが松竹映画、時代考察のしっかりした生活、町並、田園風景の画風と、その昔の面影が、私のDNAに刷り込まれているのか、何故か気持ち良く、一気に一日で夢中になって観る事ができたのは不思議でさえある。

明治維新前後の、ひとつの文明がそこに描き出され、その庶民の生活様式は、つい先日(半世紀以上も前ですが)とも云える太平洋戦争直後の昭和20年代の時と差ほど違いは無いように思える。すなわち、質素な箪笥と食器棚、卓袱台、それとラジオ、それだけで生活をしていた。ラジオが無ければ、建物の屋根が茅と瓦、着物が和服と洋服の違いぐらいで、なんら江戸時代と変わりが無いように思える。

しかし、明治時代初期に訪れた西洋人から見たその頃の我々は(あえてニッポン人と云おう)そのシンプルな家具故に、「貧しい生活をしている」と一瞬見えたけれど、よく観察すると、おおらかで、礼儀正しい生活をしている、従って「貧しいけれど悲惨さは無い」と彼等は感じた。

現在のニホン人はどうだろう?ベッドやテーブル、椅子、そしてソファーに飾り台、数々の電化製品。居住のスペースを考えなければ裕福そうに見えるだろう。だが庶民の生活は、その古来からの良き習慣、伝統などが、かの戦争後の精神的な廃頽、あるいは教育で見事に破壊され、戦後60年にもなるにもかかわらず、自殺者が年間30,000人を超え、殺人事件は(それも身内・親子のが多いらしい)日常茶飯事になり、どこかの銃の保有が許されている国のごとく、乱れに乱れている。しかもその国の核の傘で国の安全が守られていると信じている国民が多いのだ。それは悲惨と云わずに何と云うのだろうか?さるでも分かる、自分の国は自分で守ろう!

そもそも、税収が37・8兆円しかなければ、全体の生活レベルを下げて、それに見合う予算を組んで緊縮すれば済む、すなわち全て1/3のレベル迄落とせば良いのだから。毎日のお風呂も三日に一度、食事も三日に一度とは出来ないので一汁一菜ぐらいにして、役人・官僚、議員の数も1/3に減らし、報酬・給与・給料も1/3に減らし(現に月収15・6万で生活している派遣労働者がいる)、新幹線や航空機は使わずに、自転車や徒歩で移動して体重もメタボから脱却して健康になり、医療費も少なくなり、大体60歳位で寿命が来て死ねるようにすれば、人口構成が変り高齢化社会から抜け出し、なんとかなるのではないかと思われる。ただ現在68歳の私は死ななければならないのがしゃくだけれども....。

ウイキペディアによると、『倭(わ、やまと)は、紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称。また、紀元前後頃から7世紀末頃に国号を「日本」に変更するまで、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国と自称した。倭の住人を倭人という』。

ニッポン人に戻ろう! 無理かな~、学者、政治家、企業家、マスコミに米国信奉者が多い今の日本人には.....。


拘りの帽子 (My favourite baseball-styled cap made in USA) [独り言]

頭髪が薄いせいか帽子を外出時には殆んど被る。大切な知人又は友人(相手が未だ現役でお仕事をされていて夕方会う時など)と会う時は帽子を被らない。例外はもちろんあるけれども大体こんな風にしている。殆んどが野球帽の形だが、最近のはツバの面積が妙に小さく、被る帽子本体も底が浅くなっているようだ。

長女が結婚後数年して、旦那さんの転勤でアメリカに住んでいた頃、私の誕生日に必ず品物を送ってきた。帽子だったり、ポロシャツだったり。その中で、もう10数年前になるが送ってもらった帽子が私の一番のお気に入りの品である。色合いも比較的地味で、形もよく、そのツバも広く、従って被り続けていたから生地が薄くなりボロボロになっている。でもその箇所は当て布をして、ツバの縁は布が摩擦で無くなり、家の者に糸で括ってもらって補修しながら大切に使っている。

この帽子、珍しくアメリカ製である。アメリカから送られて来ても殆んどの品が台湾製、中国製、インドネシア製、ベトナム製、メキシコ製だったが、Made in USAの帽子の製品は見た事がない。その頃は未だ豊かなアメリカだったのだろう、早くアメリカに立ち直って貰いたい、たくさんの信奉者が日本の学会、経済界、政界にいるのだから....。

多分、この帽子は私の棺おけに入れてもらう品になるだろう(家の者は見っともないから私が被るのを嫌がっているが、先日、私の拘泥にあきらめたのか、仕方なしにさらに補強をしてくれた)。

今日は7月31日、切りの良い日である。このブログ、考える事がありまして少しお休みします。マンネリな写真と日々の行動、そしてブログ作成に費やす時間などを考慮した結果、他にも大切な事があるような気もしてきました。今日までの沢山のnice!とコメント、ありがとうございました。

P帽子正面.jpg
帽子、縁が擦り切れている。ツバが広くて格好が良い(私はそう思う)

P帽子横.jpg
帽子の天辺はボロボロ、中から当て布をして縫って補修している

P帽子裏.jpg
帽子のラベル、TOMMY HILFIGER - MADE IN U.S.A.の文字が見える


緑への拘り (My adherence to Green) [独り言]

私が緑に拘るようになったのは、1985年頃だと思う。なぜかと云うと「植物の不思議な力 - フィトンチッド」と云う本の第9刷発行が1984年8月30日だからである。この本を買い求め、それから知った事は、緑の葉が光合成によって大気中の炭酸ガスを固定し、酸素を供給するという大気の浄化機能をもっていること、気象をやわらげ、気候を緩和させる効用を持っていること、またその防音効果で静寂をもたらす効果をもっていること..等は一般に広く人に知られた効用です。 

さらに緑の植物から発散される揮発性の物質、フィトンチッド。どんな小さな緑の植物からも微量のフィトンチッドが発散されているのを今から約80年前、1930年頃、当時、モスクワ動物園実験生物研究所に所属していたB.P.トーキン博士によって発見された。

私が思うのには、この物質は昔、高僧が山に篭り悟りを啓いたように、人間にとって呼吸を通して何等かの頭脳にも良い影響を与えているのに違いないと思います。それ以外に、微生物を殺す作用があるので、地球上での細菌やウイルスの不必要な繁殖を防いでいて、私達人類には、より良い環境を作り出しているとの事である。 

だから緑を大切にしましょう!

そのフィトンチッドを知った24年位前頃から、緑の色に拘り始めた。手始めに買ったのは緑のネクタイ(緑のネクタイはなかなか少ない)、岩手県の盛岡市で「みちのくあかね会」と云う、当時は瓦屋根の民家でご婦人方が手作業で紡いでいたホームスパンの品物、手触りといい、色の緑の微妙な色合いといい、私は一瞬にして惚れ込んでしまいました。まとめて他の色も含めて7・8本買い求めました。当時、私も会社に勤めてましたので、気分の良い日は緑のネクタイをして出社したのを覚えています。

その後、デパートでの買い物の度に次々と、緑の靴下。緑のハンカチ。そして緑のジャケット。最近、と云っても3年程前ですが緑のマフラーを新しく買いました。もちろんセーターも緑です。気に入った緑色のものは値段が高いので、家の者は不服顔でしたが....。

参考URL- フィトンチッドとは: http://www.phyton-cide.org/info.index.html
参考URL- みちのくあかね会: http://www.em-platform.com/akanekai/

P Green ties.jpg
緑のネクタイ、もうする事もないので、もし貰ってくれれば、緑の好きな人に差上げたいです。このホームスパンはウオッシャブルなので清潔でアイロンをかけると元通りになり、いつも新品です。写真のも20年以上も経っていまが、新品同様です。


無花果 (Fig) [独り言]

無花果を久し振りに食べました。久し振りと云っても子供の頃、小学生3・4年の頃だと思う(記憶にあるのは)。当時、終戦後間もない頃なので、甘いお菓子などはなく、無花果が子供のゴチソウと云うか美味しい食べ物だった。そして、どの家庭の庭にも無花果の木が植えられていた。

私の家にも植えられていて、熟してからの方が美味しいので、我慢してそれを待つ。ところが、もう食べごろだろうと、楽しみに朝、起きて採ろうとすると無い!いくつもあったはずがなのだが無い!誰か近所の人が早朝に盗ってしまったのだ。子供の私は大変ショックだった。よし、犯人に復讐をしてやろうと、次の日に注射器に自転車の油をいれて無花果に、それも食べごろのものに注射をして、それを食べた人を気持ち悪くさせようと、仕組んだ(当時、なぜ注射器があったのか不思議だが、科学好きの子供の少年私は、よく昆虫やカエルを捕まえて解剖するのにアルコールをそれらに注射した記憶がある)。

数日後、近所の子供G君が、無花果を食べて吐いたと云う話が伝わってきたが、復讐に成功した子供の私は嬉しかった。

不思議なことに、この記憶が今日、無花果を食べた時の味が、突然蘇えり、な、なんと悪賢い、そしてたちの悪い、子供の頃の私であったのか、愕然としました。G君、ゴメンなさい!!

日蝕のTV放送、不思議な画面が撮れていました。家の者がTVをデジカメで撮ったものですが、こんな画面が偶然撮れてました。実況放送なのでフェーズインとかフェーズアウトとか他の画面と混合はあり得ないのに、偶然切り替え時の残像が残っていたというのでしょうか?このデジタルの時代に。

P無花果.jpg
so-net blog 栄養管理士、まさみんさんの記事から無花果にはたんぱく質を消化する成分があるとのこと、最近、お肉をちょっと食べてますので....

P日蝕の不思議な画面.jpg
NHKの日蝕中継放送から、不思議な映像。






タグ:無花果 日蝕

セキセイインコ (Budgeriger, Lovebird) [独り言]

今日も(正確には昨日)散歩に行けなかった。あさ5時頃から、料理の下準備をした。カレー料理の玉葱を炒めたり、カレーパウダーを作ったり、何度も作っているからレシピを見なくてもOKだ。さらに、ローストビーフの肉をを冷蔵庫から出して常温に戻しておく、これがキーポイントなのだ。肉の焼き方にむらが無くなり綺麗な色に仕上がる。

お昼ちょっと前に娘の友人は来るとの事で、その時間に合わせて、全ての料理を仕上げなければならない。家の者の手伝いもあって、順調に仕上がり、ちょうど出来上がったところに、ピンポ~ンと玄関で鳴る。これ以降は省略するとして、親の役目を果たした事にほっと安堵する。家の者はさらに、後片付けに忙しいが、私は一緒に飲んだビールの酔いもあり、昼寝をしてしまいました。

肝心の料理について、その人の感想は本格的カレー料理については「衝撃的!」、ローストビーフについては「鎌倉山のものより美味しい!」との事、お世辞にしても料理人冥利につきると思いました。

家族の一員であるセキセイインコのコナンは私がリビングのマッサージチェアーで本を読んだり、新聞を読んだりしている時も、まるで一緒に読むように側に置いてある立ちスタンドにとまって、私の一挙手一投足をジイ~と観察していている。そして次の動作を先読みしているかのごとく素早い行動をする。お昼寝の間中、私の手や体に止まっているのを家の者がよく写真に撮るのだが、この二枚は今日撮ったものです。

関連ブログ- セキセイインコ: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-05-04

Pコナンと一緒.jpg
コナン、ここが定位置。私もこのマッサージチェアーが定位置(時々マッサージをする)

Pコナンと昼寝の私.jpg
お昼寝の私とコナン、疲れと酔いでグッタリの私を見守るが如くに....(これは家の者が撮ったもので私は寝ていて気付いていない)

あじさいの花 (Hydrangea) [独り言]

今日(正確には昨日)は忙しくて散歩に行けなかった。娘の友人が住まいのアパートを訪ねに来るとの事、珍しい事なので歓待してあげようと、私の得意な料理、ローストビーフ、インド風カレー(パウダーから作る本格的なもの)、家の者は煮物。それ等の食材をコストコや近くの野菜専門店が入っているスーパーへ買い物に出かけた。それにリビングの部屋をちょっと小奇麗に片付けたり、自分のポロシャツや半袖スポーツシャツなどをアイロンをかけたり、本を整理したり、大忙しだった(正直云ってこんなに忙しい思いをしたのは記憶に無い、...って事は、いかに普段の整理がなされてない事の証になる)。

そして、一段落して、我が手をじっとみたら、なんとしわが多いのに驚いた。釣りやアウトドアが好きだから、紫外線で日に焼け、それが皮膚の老化を早めているのだろう。自分で評価するのも何だけれど、90歳を超えた手の甲をしている。

それで思い出したがいつもの散歩の途中で見る、アジサイの花、6月頃は紫の額アジサイで綺麗だったのが、7月になるとその紫が白っぽくなっている。まるで、私の髪の毛のようだ。黒々と性格そのものの剛直したものが、白髪の好々爺性格そのものの、か細いものになってしまった、ちょっとひねくれてちじれているけれども....。

P16232468あじさい23JUN09.jpg
額アジサイの花、6月23日撮影。青紫の色が綺麗

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額アジサイの花、7月18日撮影。同じ額アジサイの一群、よく観察すると額の部分はひっくり返って裏が表に見える。色の劣化は理解できるとしても、どうしてこのように裏が表にする必要があるのか不思議だ



タグ:額アジサイ

墓参り (Visiting to my mother's tomb located at Takao Memorial Park) [独り言]

今日7月13日はお盆の入りなので、家の者が「今日はお墓参りに行きましょうか」と、高尾にある母の墓参りに行って来ました。多摩御陵のちょっと奥にあり、住まいから2時間半で着きました。

5年ほど前に、93歳の母を亡くしましたが、重度の認知症で病院にお見舞いに行くと、息子の私に「あんた誰?」と云われ悲しかったです。.....が、母は私を溺愛しており、子供の頃から私を可愛がり、終戦後間もなくでしたが、小学生の頃は下駄で学校に通う子供が殆んどでしたが、私は編み上げの靴でした。その後、蛍光灯など一般の家庭では無い時代に、私の勉強机には蛍光灯のスタンドがありました。

その様に甘やかされて、我侭放題に育てられた私は高校に入学すると学校が港区にあり銀座・有楽町の歓楽街が近かったので、学校は休んで夜の喫茶店などに入り浸り、タバコやお酒を嗜み、いわゆるグレて勉強そっちのけの人間になってしまいました。

その他に武勇伝もありますが、ここでは省略しておきましょう。

あれこれ、いろいろありましたが、家の者と若くして結婚し、25歳で長女が誕生、こんな事していてはいけないなぁ~と思い、英語が好きだったので外資系(日本の一流会社は採用してくれなかった)の会社に就職してその後、真っ当な人間になったつもりですが、その英語が好きになる動機は、母が幼児の私を英語の個人教師の家庭に通わせた事でした。母は私に先行投資をしてくれていたのです。それが私の唯一の無形固定資産になっていて、その後の安定した生活を(裕福ではありませんが)過ごせるようになったのだと、墓前でいつも「母さん、ありがとうございました」と頭を垂れています。

住まいのアパートに戻って来て、昨日作っておいたパンプキン・プリンを冷蔵庫から出し、家の者と一緒に、「冷たくておいしいね!」と、初めて自分で作ったプリンの味を楽しみました。舌触りといい、のど越の感じといい、甘さといい、良い出来具合でした(自画自賛-笑い)。

P寺門.jpg
お寺の山門、「回向山」と読むのかな?

P百日紅の花.jpg
サルスベリの花、参道脇にこの花が咲いていました

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ユリの花、墓前への階段入口に咲いていました

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墓前にて頭を垂れる、簡単にお掃除をして「母さんありがとう.....」

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遠くに秩父の山々、青空の天候になりつつある

Pパンプキンプリン.jpg
パンプキン・プリン、so-net blogの栄養管理士でもある、まさみんさんのレシピを参考に作りました







ネイチャー & ボタニカル アート (Nature & Botanical Art Exhibition held at Maruzen, Tokyo) [独り言]

昨日は、強風だったけれど大好きな電車に乗って、東京の丸の内、丸善本社のオアゾショップで開かれているネーチャー・アート展に行って来た。説明によると、ネイチャーアートとは自然の生物、動物・植物をリアルに、また細密に描き出し、生き物への愛情が見るもの全ての人々の心に驚嘆と安らぎを与えてくれます、とのこと。なるほど、思わず、ため息が出るような、作品には細やかな愛情が注がれ、丁寧に造られているのが分かる。

上記ネーチャー・アート展は7月14日(火曜日)まで開催されています。

東京の丸の内に来たのは久し振りだ。勤めていた頃は、朝7時ごろ東京駅で降りて、丸の内仲通を散歩しながら新国際ビルにあった会社に早めに入ったものだった。その頃、丸の内の三菱地所ビル群は8階建てに統一されていて、皇居内を覗けるような高いビルは、法で規制されていたのか、それとも自主規制かは分からないが、無かった。今はそんなことお構い無しに高層ビルだらけになってしまった。

これだけ昼間の人口が集中している場所はおそらく世界一だろうと思う。東京直下型地震があった場合、それ等の人々は一番近い安全な場所、皇居内に避難できるのであろうか?それとも門を硬く閉ざして、人々を冷たくあしらうのであろうか?宮内庁や皇宮警察の非常時のマニュアルを見てみたいものだ。

夕方からは学友達と市川で会い、駅前の八百屋さんがオーナーらしい、居酒屋風のお店「どんべ」で枝豆を肴に、ビールで暑さが未だ残っている身体を一気に潤おした。不動産業界の景気はどうなの?と訊ねると「底に長い間へばりついて、一向に浮上しない厳しい状態が続いている」との事だった。八百屋さんの枝豆は新鮮ですごく美味しかった。住まいに戻ったのは千葉の市川、東京経由、神奈川横浜と三県にまたがっての長距離だが午前様にならずに帰ることができた。

関連URL- 丸善ギャラリー ネイチャー・アート展: http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen02/P/7054.aspx

P1横浜新都市交通.jpg
横浜新都市交通、タイヤで走って無人運転。ルンルン気分で乗車

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アガパンサス、佐々木正子さんの絵葉書作品、気に入ったので買いました

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ふくろうの親子、麦畑耕生さんの陶芸作品、可愛らしいでしょう?

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東京丸の内のビル群

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枝豆、こんな美味しいのは初めて、ちゃんと枝が付いている。市川駅前の「どんべ」にて

P6シーザースサラダどん兵市川.jpg
シーザースサラダ、これも夕方から小腹が空いてる時などにピッタシのもの、そして美味しかったです
編集追加:2009-07-12 01:57

P8学友と痛飲.jpg
学友と痛飲、なぜかいつも痛飲になってしまう。 通院にならないように.....



上海 - 私の好きな写真の一枚 (Shanghai - One of my favourite picture) [独り言]

この写真は2005年2月に社内旅行で上海に行った時、夜の散歩に、私は行きたくなかったのですが、女性達の用心棒として一緒に夜の上海の街に出ました。かなり大きな川が流れていて対岸に高層ビルがライトアップされ、エッ!これが中国?と妙な胸騒ぎと云うか、トキメキと云うか、得体の知れない興奮を覚えたのをはっきり覚えています。

沿岸部の活況は新聞などで知っているつもりでしたが、昼間の上海の街は地方からの中国人でごった返しており、一昔前の上野のアメ横を、もう少し規模を大きくしたような、喧騒に包まれていました。凄いなぁ~と、当に中国のパワーを見せ付けられた思いで、これでは何れ日本はやられるな、と思いました。

それ以来、中国の歴史などに興味を抱くようになり、結局、孔子、孟子、老子、荘子と紀元前の偉大な思想家が続出していた頃の本に夢中になっている今日の私です。漢字にしても、仏教にしても、儒教にしても、日本の思想の根幹は中国からの伝来で、大きな影響を受けているのが事実です。しかし、中国は共産党の一政権が戦後執政をしているので、昔の思想家達の末裔がこの国の現状をどのように考えているのかは伺い知れないところです。

最近のウイグル族と漢族との民族対立で多数の死者が出て、当局は軍隊を派遣するまでになっているようで、いわゆる経済の二重構造、富める者と搾取される者があり、国の冨の分配が上手く行ってないのが原因と考えれらます。日本も民族対立ではなく、経済生活対立、とでも云うのか、二重構造に似た情況になりつつあり、将来暴動などの起きる前に緊急の政策がなされるべきでしょう。

と思ったが、日本はどうでも良いTV局が乱立し、はちゃめちゃな番組を垂れ流し、時折、ガス抜きのような偏向した政治番組もあり、一億総白痴化が施行された稀有な国に成り下がって、ヨーロッパの国々のように若者達がプラカードを持って国に向かって抗議デモなどする訳はなく、駅や路上でへたり込んで座っている若者達しか見れません。これでは日本の未来は無いと私は断言できる!

文部科学省はどのような教育方針でこの数十年、臨んで来たのだろう?疑問と云うか奇問だ!

P上海夜景 f2.5 1-2 26FEB05 23-24.jpg
上海の夜景、2005年2月、約4年前の写真です

P上海用心棒.jpg
美女に挟まれ窮屈そうな頼りない用心棒
これは私の好きな写真の一枚ではないので少し小さくなっています






七夕 (The star festival) [独り言]

朝から良い天気だった。快晴ではないが、晴れである。自転車を磨いてから、住まいのアパートを出た。樹林帯の中を走るので日陰のサイクリング道になっている。顔に当る風が気持ちが良い。漕いでいるうちに、自然に海際に出てしまった。

遠くに自動車運搬専用の貨物船や白い帆のヨット、漁船が動き回っている。ふと空を見上げると青空に雲が早い動きのと、ゆっくりした動きのとがあり、しばらく見とれていた。すると天の川ではなく、天の毬みたいな、まあるい雲の中に、よく見ると彦星と織姫が昼間から会っているかのように、白い小さな星のような雲が二つ入っていた。

この辺りへ来ると、いつも寄っていく瞑想をする場所、見晴らしの良い高台に登り、松の木越しに見る海を眺め、ボーッとしていたが、昔のちょっぴり悲しい事が思い出されて来るので、その場を去った。

お尻の筋肉が弱っているのだろう、自転車を漕ぐのがきつかったので、ギアを一つダウンしてちょうど良かった。

関連ブログ- 近所の散歩: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-09-17

P七夕雲.jpg
天の毬、真ん中の丸い雲の中によく見ると小さな星のような雲が二つ、彦星と織姫が昼間から会っているみたいだ!

P高台にて.jpg
瞑想をする高台、遠くの船が見える


臼杵の石仏 - 私の好きな写真の一枚 (Stone image of Buddha - One of my favourite picture) [独り言]

三女の娘が、我々老夫婦を旅行に連れて行ってくれるとの申し出を受けたのは2006年の暮れだった。そしてどこか遠いところでも良いよと、でもパスポートの問題で (家の者は失効していた、私のはMultipassportだからOK) 国内で行って見たいところを、との事でしたので、私は大分に行ってみたいとリクエストしました。

なぜ大分に行きたかったのは私がサラリーマンだった35歳の頃、社内での上司(日本人部長、関西出身)から評価を極端に悪くされた。元々激しい性格で、その上媚びる事が出来ない不器用な私は、上司だろうが何だろうが直言をしたから、嫌われたのだろう。その事が原因で出社拒否症のような、うつ病になってしまった。

しかし、間に入った日本人課長(関東出身)は私を何故か庇い、何かと声を掛けてくれて、有楽町近辺に飲みに連れて行って貰ったりしていたが、心労が重なったのだろうか、42歳の若さながら脳内動脈瘤破裂で会社内で倒れ、間もなくお亡くなりになってしまった。仕事で恩返しも出来なかった私は今でも申し訳なく思っている。そして葬儀のあと、しばらくして、年老いた彼の母上から大分の海の見えるお墓に埋葬したとお聞きしてあった。

数年してから、その日本人部長は突然会社を退職したが、当時、理由は解らなかった。先日のOB会でその理由が分かった。会社の資金を無断でリスクの大きい株式に運用して巨額の損失を発生させたとの事を漏れ聞いた。それはご自身の資金の運用を証券会社の営業の方に有利にしてもらった都合上、会社の資金をリスクの大きい方にせざるを得なかったらしい。外資系の会社に於いて、日本人の経理部長がこの有様では、我々日本人の経理部員は信用されてなかっただろうと思うとくやしくて仕方がない。

大分のお墓は、二十数年を経た現在、もうすでにご家族とは連絡のつかない状態になってしまい場所が分からないので、その近くであろう国宝の臼杵の石仏に行きたいと娘に伝えた。後日、熊本などを含めた九州の旅を翌年の1月末頃、親子三人で楽しみました。臼杵の石仏はその私の直属の上司であった課長のお顔を思い出させるのに十分な優しい表情で、とっても嬉しかった。

臼杵の石仏は中学時代のクラスメート、TMさんが2004年に「九州を旅するなら臼杵の石仏にぜひ行ってみて」と勧められていたが、友人との九州の旅では途中旅程が変わり、寄れなかった所でぜひ行かなくてはならない所だった。そんな理由があって、この旅をアレンジしてくれた三女の娘に今でも感謝している。

関連ブログ- 流れ星: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-08-08

P国宝臼杵の石仏 f2.5 1-40 27JAN07.jpg
臼杵の石仏、優しい表情の石仏 大分県にある日本で唯一の摩崖仏の国宝




花・睡蓮 - 私の好きな写真の一枚 (Water lily - One of my favourite picture) [独り言]

この写真は2004年4月15日、江ノ島水族館に行く途中、神奈川県立大船フラワーセンターに寄った時に、色々な花の写真を撮っりました。温室がありそこで睡蓮が沢山さいていましたが、紫色のこの睡蓮(熱帯睡蓮)をデジカメで撮りました。

住まいに戻り、写真をパソコンで整理していたら、自分の写真で云うのも変ですが、何かうっとりとしてしまう感覚を覚えました。あとで、家の者に話すと、「疲れていたから、ただ眠くなったのでしょう」と相手にしてくれない。そして、この熱帯睡蓮は多分、暖かなインドなどで咲き、お釈迦様がこれらの睡蓮にかこまれて成仏したのでは、などと思いました。私も亡くなる時は枕元で、この睡蓮の写真と、ハイビスカスの水彩画を見ながらあの世へ旅立ちたいものである。

花の写真を撮り出したのも、この睡蓮の写真が切っ掛けだったような気もする。その時、撮ったハイビスカスのマクロ写真も(赤の色が不自然ですが)載せてみます。

P睡蓮 f3.2 1-200 15APR04 10-28.jpg
睡蓮(熱帯睡蓮)、神奈川県立大船フラワーセンター温室にて
Data: Camera Olympus C-750UZ f3.2 1/200 2004-04-15 13:10

Pハイビスカス f3.2 1-125 15APR04.jpg
ハイビスカス、神奈川県立大船フラワーセンタ
Data: Camera Olympus C750UZ f3.2 1/125 2004-4-15 13:03

電車 - 私の好きな写真の一枚 (Street car - One of my favourite picture) [独り言]

今日は夕方から東京のど真ん中、千代田区内幸町の富国生命ビルにある東京會舘で行なわれたパーティーに出かけた。私が以前勤めていた会社のOB会である。その会社はすでに日本から撤退してしまったが、そのグループ会社が日本で営業活動を続けているので、そのパーティ費用の大部分を未だにその会社が負担している。

さすが100年以上も日本で営業活動をしていたので、今でも従業員であった我々を、ないがしろにしない社趣に、その会社に勤めていた事を誇りに思う。

久し振りに東京に行くので大好きな電車に乗れる。住まいから横浜新都市交通のシーサイドライン、JR根岸線、横浜から京浜急行で品川経由で三田まで、地下鉄都営三田線で内幸町で下車。四種類の電車に乗れるので、とっても嬉しかった。もちろん一番前に乗り、線路の光っている部分をながめ、運転士さんと一緒の目線で信号を見、あっと云う間に到着駅についてしまった。

私がどうして電車が好きになったのかは、小学生の頃、東京に住んでいたので、遠足は電車、それも都電の貸切で、朝早く乗って目的地に行く。ある時、昔は悠長だったのだが、運転士さんが、小学生の私があまりにも目を輝かせて食い入るように見ているから、「ボク、運転して見る?」「ハ、ハイ」と信じられない事に、運転室に招き入れられて、左のコントロール・ハンドルを握らせてくれました。そして、もちろん運転士さんが手を添えてましたが、動かして、電車が加速したり、減速したりを実感したのでした。今ほど、交通量は多くないので、朝早い場合は他の車や車輌も殆んど無かったから、そんな事も出来たのだろうと今ではとてもあり得ない事が....、ゆったりとした良き時代を私は過ごした事になるのだろう(多分昭和26・7年、1951・2年)。

この写真は横浜市電の車輌で、ある公園に静態保存というか子供達の遊び道具として展示されているものに、見るとたまらず私も早速乗ってみて、コントロール・ハンドルを、手でぐりぐり回して見る幼児オジサンになってしまったところを、家の者に写真に撮られたもの。

P横浜市電 久良岐公園 27MAR05 10-01.jpg
横浜市電(数十年前に横浜市電は運行を止めている)、公園に子供達の遊び道具として展示してあるもの。右手はVサイン、左手はコントロール・ハンドルを握っている

関連ブログ- 電車大好き人間: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-05-23

野鳥 - 私の好きな写真の一枚 (Wild bird - One of my favourite picture) [独り言]

この写真は住まいの近くに富岡公園がある、そこの船溜まりでキンクロハジロを撮ったもの。そこの場所は、昔はもちろん海で4・50年ほど前に埋め立てをしましたが、漁業を保護する必要から海から川を引いて船溜まりと称する汽水池を作り、公園になっています。そこでは毎年夏に花火大会がある。冬は格好の野鳥の餌場になっている。

たまたま、散歩の途中で野鳥達が沢山いるところをデジカメでと撮りまくり、あとでその写真を見ると、実際に目で見ている野鳥と写真の野鳥はかなり違うのに驚いた。このキンクロハジロの頭付近の黒い部分が、紫色になっているのがそうだ。意外と綺麗な色をしている。これが、私が野鳥に興味を抱くきっかけになった。

関連ブログ- 野鳥: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-11-08

Pキンクロハジロ f3.5 1-125 04MAR09.jpg
キンクロハジロ、雄 他の野鳥より一回り小ぶりで、ポニーテールみたいな後ろ髪が可愛らしい


富士山 - 私の好きな写真の一枚 (Mt. Fuji - One of my favourite picture) [独り言]

この富士山の写真は2005年2月25日、成田を14:00頃出発して上海に向かうANA機から機長が「左手に富士山が見えます」とのアナウンスで真上近くに来た時に撮ったもの。これも社内旅行(2年半ほど前まで、英国系人材紹介会社(ヘッド・ハンティング)の経理関係の手伝いをしていた)なので、どちらかと云うと仕方がないので飛行機に乗ったもの。

私は20歳代中頃から、英国系の航空会社に勤めていた。飛行機の機体の機能的な美しさに魅せられて、別に海外旅行が好きだった訳ではない。外国系の航空会社は東京・大阪間、即ち国内の航空権は与えられていないので営業はもちろん出来ないが、社員は乗せる事が出来た、もちろん無料で(機内の朝食代¥350は払った)。その頃、大阪万博が行なわれていて、休暇をとって幾度も万博を見に行ったことがある。しかし、当時の最新鋭のジェット旅客機、コンベアー880は主翼を上下にパタパタ揺らして、見ていて外れるのではないかと、なまじ金属疲労などの言葉を知っていた私は飛行機に乗るのは嫌いになってしまった。同僚は航空会社の社員割引制度を利用して欧州・米国・豪州・東南アジアの海外旅行へ休暇を取っては楽しんでいたが、私は一度も海外には行かなかった、と云うより恐くて行けなかった。

若い頃の私は「和して同ぜず」ならまだしも「異して同ぜず」を地で行くような激しい性格で上司の部長とそりが合わず、その航空会社の親会社の経理部長(最初の採用面接時の人)が見かねて「こちらへ来ないか」との事で転属を受理されたのであった。外資系の会社は私のような異質な人間でも採用する度量の深さがその当時はあったような気がする。

結局、早期退職制度を利用するまで、その会社に長い間お世話になった事になる。今はその会社は日本から撤退して、傘下の航空会社のみ日本で営業活動をしている。

一枚の写真から、若かりし頃の思い出が蘇えり、当時の狼藉振りを深く反省するものである。

関連ブログ - 富士山の写真がある私の他のブログ: http://etc-fukumoto.blog.so-net.ne.jp/2009-05-06
関連ブログ - 英語大好き人間: http://etc-fukumoto.blog.so-net.ne.jp/2009-04-17

P富士山 f5.0 1-500 25FEB05 14-38.jpg
富士山、ANA機から撮影。今はデジカメは機内で使えるのかどうか....
タグ:富士山
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