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青根諏訪神社- お出かけ [古刹]

家の者が急にどこかの日帰り温泉に行こうと云い出した。近場の場所をスマホで検索して二時間弱の相模原青根の「いやしの湯」に決めた。 国道246号の厚木街道の途中でで丹沢山塊の雪化粧を見ながら快適なトライブ、この季節は実に視界が良いのをを実感した。丹沢の大山が見え、その奥の山々が雪化粧をして奥深さを感じさせるが手前で右折して半原、青根方面に向かう。イメージしていた所とは違っていたが大広間があり食事を二人で、ラーメンと鍋焼きうどんを食し、二回ほど温泉につかりのんびりした一日であった。

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樹齢3000年と云われている杉の大木。高さ65m、確かに巨木だ。この樹が残っていられたのも青根諏訪神社の霊験であろう。手を合わせ自分流ではあるが畏怖の念を抱きながらこの大木に参拝をしました。もちろん青根諏訪神社のご本尊に対してもお賽銭を投じながら参拝しました。

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青根諏訪神社

「温泉大好き人間」としては未だ訪問していない温泉に行きたいのだけれど、体力、気力、運転力が減少しているのでなかなか出掛けられない。すなわち住まいで最高の贅沢(とボクは思う)、読書三昧に耽るのみである。
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靖国神社参拝 - お出かけ [古刹]

以前から気になっていた日本の終戦後の米国及び連合国による「東京裁判」に関してパール判事(インド人)の意見書を見て感銘をうけていた。

パール判事はこの通称「東京裁判」が勝利に傲る連合国の、今や無力となった敗戦国日本に対する野蛮な復讐の儀式に過ぎない事を看破し、事実誤認に満ちた連合国の訴追には法的根拠が全く欠けている事を論証し被告団に対する全員無罪と判決する意見書を公にされたのであります。

そして偶然下記の文を知った。

1952年、「世界連邦アジア会議」の講演のため再び来日したパールは、広島の平和記念公園を訪れた際、慰霊碑に書かれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という碑文を通訳が訳すのを聞いた瞬間、不審と怒りに満ちた表情を浮かべたといいます。 

そして彼はこう言いました。
「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、”わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ” というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ」。 「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」。

「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」。 これに対して、広島市の本照寺の住職が「過ちは繰り返しませぬから」に代わる碑文を所望したところ、パルは次のような「大東亜悲願之碑文」をしたためてくれました。

激動し変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が 万斛の思いを抱いて死んでいった
しかし 大地深く打ち込まれた悲願は消えない 抑圧されたアジアの解放のため その厳粛なる誓いに いのち捧げた魂の上に幸あれ ああ 真理よ あなたは我が心の中に在る その啓示に従って 我は進む
1952年11月5日
ラダビノード・パール

話は長くなりましたが、是非パール判事の碑を見たくて東京九段にある靖国神社に出掛けました。未だ松の内なので結構な人々が参拝にいらして大きな鳥居をくぐる時には厳粛な、お国の為に戦って亡くなられた方々に想いを馳せ、深々と頭を垂れました。 神社本殿にて参拝を済ませ、裏手にあるパール判事の碑を訪ね、感謝の気持ちを表すために、ここでも深々と頭を垂れ「ありがとうございました」と口ずさみました。

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九段下から登って行くと大きな鳥居が見えて来ました。北風が吹き寒々としていましたが空気感は澄んでいます。

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わくわくする?少し興奮気味の心を抑えて入口に辿り着き「靖国神社」の門柱にも何故か頭を垂れ、大鳥居でも頭を深々と下げ神社境内に入りました。

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神社本殿にて参拝し、お国の為に戦った人々に弔慰を表し壱千円を白い布で内側を化粧されている大きな賽銭箱に入れました。

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パール判事の碑も靖国神社の方が手入れをされていらっしゃるのでしょう、綺麗に清掃されていて思わず跪き頭を垂れました。

靖国神社を後にして神保町の古本屋街を散策して三省堂に寄り、講談社学術文庫の「日本書紀」下巻を買い求め、未だ上巻を読みつくしていないのに、帰路につきました。東京に行く時は再び靖国神社に寄ってみようと思う。

今年も、齢を重ねても、こんな風に発作的な行動を続けるのだろうな......。


関西旅行(ドライブ) - 神社仏閣を訪ねて(その2) [古刹]

4月8日朝5時30分頃早朝散歩に出た。目指すは日本最古の神社、大神神社(おおみわじんじゃ)にワクワクして歩幅も大きくなる。宿から近くにあり未だ静かにひっそりとしていたが、佇まいは威厳があり早朝参拝の人もチラホラ、そして鳥居の前で深々と拝礼をしている。ボクも自然とそうしてしまった。

大神神社の公式HPは下記をご参照 - http://www.oomiwa.or.jp/frame/f02.html

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大神神社(おおみわじんじゃ)

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大神神社二の鳥居、どう?良いでしょ、この雰囲気

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大神神社、拝殿

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大神神社の裏山からの桜井市遠景、大鳥居が見える、三輪そうめんを』と云うお店で知人友人への素麺のお土産を買った、それはそのお店の駐車場にあったトイレが綺麗に清掃されていて気持ちが良かったからである。

次に訪れたのは奈良県天理市にある、これも日本最古の神宮、石上神宮(いそのかみじんぐう)。古事記・日本書記に記載されているとの事なので調べてみよう。なッなんと境内にニワトリが、2・3羽ではなく、かなりの数が放し飼いにされている。近づいても逃げたりしない、それはそうだろう境内が我が家なのだから....。

石上神宮の公式HPは下記をご参照 - http://www.isonokami.jp/about/index.html

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石上神宮(いそのかみじんぐう)境内の堂々としたニワトリ

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石上神宮楼門

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石上神宮拝殿

4月8日、今日の宿泊先は伊勢の賢島になっている。ちょっと距離があるので午前9時過ぎに奈良から伊勢に向かう、もうちょっとゆとりのある計画にしたかったが後の祭り。それにしても関西の京都・奈良には由緒ある神社仏閣がたくさんあるのには感動する。今回の神さびた雰囲気の中の神社と神宮には大満足!偶然、二つのの社宮の読み方が難しいのは何故だろう? 大神(おおみわ)、石上(いそのかみ)。

次の予定の伊勢神宮は次回のブログで....。

関西旅行(ドライブ) - 神社仏閣を訪ねて [古刹]

今年の2月にTVで日本最古の神社として奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)の紹介があった。何だかどうしても行ってみたい状態になってしまい、暖かくなる4月に出掛けようと決めていた。そして4月6日夜の9時に横浜の住まいを出発し、欲張って京都、奈良、伊勢そして琵琶湖を訪ねる3泊4日のドライブ旅行の始まりになる。1週間前にスバルのディラーで『関西方面に高速を利用するので.....』とタイアの空気圧をチェックしてもらい、エンジンオイルを交換してもらう。しかしこの軽自動車スバル・プレオのエンジンは良く走る、時速80kmから100kmを長時間走っても平気である。途中のサービスエリアで休憩を取りながら翌朝4月7日の6時頃には住まいからおよそ340kmの距離の伊勢湾岸高速を走っていた。

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大きな橋梁は東京レインボーブリッジや横浜ベイブリッジなどで見慣れてはいたが伊勢湾岸道路の橋梁は東海JCTから四日市JCTまで木曽川や揖斐川などの河口に架かっているのでその大きさは(長さにおいても)迫力があった。

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4月7日、朝の8時15分頃、東名阪高速の京都南ICを出て最初に訪れたのは由緒あるお寺、仁和寺に9時30分頃着いた。さすが世界遺産にも登録されているだけあって見応えのある仁王門、五重塔、金堂(国宝)であった。

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仁和寺、仁王門 - 寛永14年(1637年)から正保元年(1644年)にかけて家光による建立で知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」と共に京都の三大門と呼ばれている和様の建造物です。

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仁和寺、五重塔 - 寛永21年(1644年)、家光による建立で高さは36m。各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸時代の特長を色濃くとどめている。

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仁和寺、金堂(国宝) - 現在の金堂は慶長年間(1596~1615)造営の内裏紫宸殿を、寛永年間(1624~1644)に移築したものであり、当時の宮殿建築を伝える現存最古の紫宸殿として国宝に指定されている。移築の時、屋根が「桧皮葺」から「本瓦葺」に変わっていますが、現存する最古の紫宸殿の遺構であり当時の宮廷建築を今に伝える貴重な建物です。朝の9時30分頃から30分ほどで仁和寺の見学を終えた。次は薬師寺に向かう。

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薬師寺西塔 - 4月7日午後2時頃、薬師寺に着く。昭和56年(1981年)に復興されたので色彩が豊かである。高さ33.9m、30cmほど高くしてあるそうで将来縮まって東塔と同じ高さになるらしい。その東塔は残念ながら白い覆いで囲われていて解体修理中。宮大工の棟梁故西岡常一氏、当時の薬師寺管長高田好胤氏などのご努力が復興の要だったとの記憶がある。

今晩の宿は奈良県桜井市の三輪である。明日の大神神社へ早朝参拝を考え、そして三輪素麺も食べて見たい。この後の奈良、伊勢、琵琶湖は次回のブログで.....。







トイレの神様 明徳寺 伊豆市湯ケ島 [古刹]

去年の8月29日、熱川温泉の帰りに伊豆湯ケ島の「明徳寺」に寄った。その日は東司まつりと云って「東司」とは禅寺でお手洗いの事、トイレのお祭り。一般的にはどちらかと云うと忌み嫌う場所を、敢えて採り上げ、「普段から清浄」にし、そして心身共に穢れ無き様にとの事。ボクはそこでお札なるものを買って住まいのトイレの中と前に飾ってある。

それ以来、トイレのお掃除をする時は素手でスポンジに洗剤をつけて便器を磨き上げるようにしている。ピカピカにすると自分の心も何となく清浄になったような気分になれるので気持ちが良い。

1月29日はその「東司まつり」の初まつり。伊豆市湯ケ島までは横浜からは結構遠いので午後3時過ぎに着いた。ひっそりとしてお寺の方がお祭りの幟を片付け始めていた。今回は持病治癒(高血圧・高脂血症)と云う事でそのお守りを購入した。

禅宗のお寺には、「三黙道場」と言われる場所があるそうです。僧堂(坐禅・食事・睡眠)、東司(とうす。お手洗いのこと)、浴司(よくす。お風呂)です。ここでは、話をしてはいけないそうです。そしてできるだけ音させないように行なうそうです。「塵穢をのぞく」。物質的な汚れ、精神的な汚れを、自分の身体を洗うことによって取り除く、住まいの環境を清浄にすることによって、そして自分の心を洗うことによって取り除くというのが、「第一の仏法なり」とボクの好きな道元禅師が言われているそうです。

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寺の入口にお言葉なるものがあった。「人を助くるものは救われる」他の宗教でも同じような事が言われている

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寺の入口正面

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寺の山号「金龍山」の看板

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境内の梵鐘

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寺のご本尊は、「拈華釈迦牟尼仏」(ねんげしゃかむにぶつ)。

このお寺は体の「下」の部分に対する信仰で有名だが、ボクも、もっと老いてから失禁などの症状が出ないようにしっかりとお参りしました。知り合いの歯科医から聞いた話ですと最近はお年寄りの患者さんが多く、中には治療中におもらしをする患者さんがいるとの事。他人事では無いとの感想を抱いた。

さぁッ、これから静岡の梅ヶ島へ向かわなくては。温泉大好き人間のボクはそこにある「黄金の湯」と云う日帰り温泉を探訪するがちょっと遠いなぁ~。


五重塔 羽黒山 山形 [古刹]

親戚の法事で盛岡に6月8日から10日まで滞在した。横浜への帰り道に、どうしても再び訪れたくなった国宝の五重塔がある山形・羽黒山に寄って来た。前回は確か2008年9月に訪れている。6月11日、早朝に着いたが、あいにくの小雨でカメラをチョッキの下に入れて、鬱蒼とした杉木立の中にある雨で黒光りした石段を降りた。フィトンチッドあふれる独特の緑の薫りの中に、五重塔はそびえ立っていた。何時来てもこの雰囲気はたまらない!

参道の途中に小さなお堂がいくつもあるのだが、その辺一帯を早朝からボランティアで清掃されていらっしゃるご婦人にもお会い出来た。写真を撮る時に、前回訪れた時はお顔を上げてもらえなかったが、今回は気まずそうにだがお顔を上げてもらえた。多分、この様なご奇特なご婦人に守られて、国宝の羽黒山・五重塔は、1372年建立以来、特別な囲いも無く、いつでも誰でも関西や鎌倉の古刹と違って無料でおおらかに受け入れてくれている。

ボクが死ぬ前にあと何度訪れることが出来るか.....、心惹かれる五重塔である。

盛岡へのドライブの行程は福島の原発事故・放射能を嫌い、日本海側を経由して盛岡に行った。走行距離は1,649km、軽自動車スバル・プレオの累計走行距離は185,245kmになった。それにしても、現政権はもたもたして、地震の瓦礫処理、原発事故の収束など全ての問題に有効な対応が出来てない。比較的若手の民主党執行部の者達も全て期待外れな様相がTVからでは見受けられる。党首がこの様では無理もないか.....、では済まされないだろう。今まで政治的な記事は避けてきたが、このどうしようもない閉塞菅は我慢がならない!

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雨で黒光りの石段

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羽黒山・五重塔。雨が写り込んで白ぼっく撮れている

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参道

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ボランティアで清掃されてるご婦人

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山アジサイ

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水芭蕉

関連ブログ - 羽黒山・五重塔: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-09-13

三(山)門 円覚寺 鎌倉 [古刹]

6月4日、久し振りの初夏の日和に、先日訪れた建長寺に続いて、鎌倉五山の第二位、円覚寺に行ってみた。北鎌倉駅に近くても、緑深いところにあり、この季節に、樹木が輝いている時に訪れるのが最も良いのかも知れない。しかし、境内にはモミジの樹が所々にあり、初冬の紅葉の季節も良いのだろう。境内にこんな詩があった。

           空に星が光っている 野に露が光っている 山に木が光っている 

                 ああ 光を求め 光を見つめ 生きてゆこう  坂村真民詩集より

娑婆の世界も、つい先日までは漆黒の闇のような全く光の見えない絶望的な状態だったが、幾分光が差し込んで来た様だ。このまま順調に、光が強く健全なものになって、放射線の心配の無い空の下で、思いっきり日光浴がしたいものだ。

円覚寺の三門(山門)は天明5年(1785年)に再建されたそうです。三門は三解脱門(空・無相・無願)を象徴すると云われ、諸々の執着を取り払って仏殿(涅槃・解脱)に至る門とされ、ここをくぐったら娑婆世界を断ち切り、清浄な気持ちで、仏殿(ご本尊様)をお参りしなければならないとされます、....とのこと。

次回は鎌倉五山、第三位の寿福寺の予定。

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円覚寺 三(山)門 1785年再建

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円覚寺 三(山)門 扁額 『円覚興聖禅寺』 は伏見上皇(北条貞時の時代1284-1301年)より賜りました、との説明あり。

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円覚寺 三(山)門 下部の梁への彫刻

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円覚寺 仏殿内部(ご本尊様ゴメンナサイ!)

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円覚寺 仏殿天井画 雲龍図 前田青邨監修、守屋多々志揮毫

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円覚寺 唐門 右扉彫刻

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円覚寺 唐門 左扉彫刻

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円覚寺 梵鐘(洪鐘おおがね) 国宝 西安三年(1301年)北条貞時が国家安泰を願って鋳造・寄進した。鎌倉第一の大鐘だそうで、鎌倉時代後期の代表する梵鐘

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円覚寺 境内の野草

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円覚寺 境内の額アジサイ



五重塔 室生寺 奈良 [古刹]

4月28日午前中に京都・木津川の海住山寺、岩船寺、浄瑠璃寺を訪れ、午後2時頃、念願の女人高野の室生寺に着いた。何時だったか、3年ほど前、2008年に奈良を訪れた時、室生寺を訪れたが時間が早く入門出来ずに戻って、旅程の都合上(宿を予約してある)、やむを得ず興福寺に向かったので、室生寺は是非来たかった。

山深い緑豊かなところに室生寺・五重塔はあり、何枚もシャッターを押したがその中でお気に入りのものを、と云えばやはり仰ぎみるものがボクは好きである。さらに、小振りの五重塔(高さ16・18m、木造の五重塔では最小)ではあるが、桧皮葺の屋根が、国宝の品格と重厚さに満ちていると思う。いつぞや記したが、瓦葺より桧皮葺、杮葺きの屋根が、贅沢な事を云うようだが、ボクには心地良い。

それにしても、4月に訪れた記事を6月になってからブログに載せるこの遅さは、まるで民主党政権の大震災に対する対応にも匹敵する。義捐金が未だ一部にしか配られていないのって、如何なる言い訳も許さない!さらに、その遅れに対して誰も責任を取らないッ。これって笑っちゃうね!

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室生寺 仁王門

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室生寺 五重塔 国宝 平安時代初期(800年頃) 桧皮葺 1998年の台風で損傷を受け、2000年に修理が行われた。法隆寺の五重塔に次ぐ日本で2番目に古い五重塔になる。

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室生寺 五重塔。仰ぎ見る五重塔は愛らしい?

次回は三重のお伊勢さんの予定。

関連ブログ - 興福寺: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-10-12-1

唐門 建長寺 鎌倉 [古刹]

5月31日、朝刊に鎌倉の建長寺の唐門(国指定重要文化財)の修理が終わり落成式が30日に行われたとの記事が出ていた。早速、鎌倉の建長寺に出掛けてみた。久し振りに天気が良く、大勢の修学旅行なのか、小学生や中学生の生徒が見学に来ていた。

この唐門はNHK大河トラマ「お江(ごう)~姫たちの戦国~」の主人公にゆかりのある門で、寛永5年(1628年)にお江(ごう)の霊屋(現建長寺の仏殿)の門として芝増上寺に建立の後、1647年に鎌倉の建長寺に移築されたものだそうです。

歴史のある木造建築を見ていると心が落ち着く。住まいにも近い鎌倉の古刹をもっと頻繁に訪ねてみたくなった。

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建長寺 唐門 1628年建立 重要文化財 1647年芝増上寺より移築

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建長寺 唐門 方丈の庭から

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建長寺 仏殿 1628年頃建立 重要文化財 1647年芝増上寺より移築

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建長寺 仏殿本尊 地蔵菩薩坐像 室町時代の作

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建長寺 法堂 1814年建立 重要文化財

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建長寺 法堂天井 龍雲図 建長寺創建750周年記念事業として2002年、小泉淳作の筆による

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建長寺 三門 1775年建立 重要文化財  

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建長寺 梵鐘 1255年制作 国宝

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建長寺で写真を撮っていたら彩雲が現れた

関連ブログ- 建長寺: http://phytoncide-healing.blog.so-net.ne.jp/2010-05-06

三重塔 浄瑠璃寺 京都、木津川 [古刹]

ちょうど一ヶ月前の4月28日午前11時近くに、層塔のある寺院の三つ目、浄瑠璃寺入口に着いた。池のある庭園があり、それは横浜の住まい近くにある金沢文庫、称名寺に似ていると思った。山門の様なものは無く広い庭園が印象深かった。案内板によると奈良の興福寺の別所として創建され、苑池のある庭園は平安時代後期の浄土式庭園として復元されたそうです。

苑池をぐるっと廻っていると小柄な老婦人が地味な和服を着こなして散策していた。旅行の途中なのか和装の布製の袋?を持って白足袋が、久し振りに見るので、端正な関西美人の横顔も、まぶしかった。思わず、「どちらから、いらっしゃったのですか?」「大阪どす」、「素晴らしい庭園ですね!」「ほんと....」。そんな会話をしたせいか肝心の国宝である三重塔をしっかり撮る事が出来なかった。こんな事は初めてである。

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浄瑠璃寺入口

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浄瑠璃寺庭園a

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浄瑠璃寺庭園b

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浄瑠璃寺庭園c

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浄瑠璃寺庭園d、はるか向こうに三重塔が見える

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浄瑠璃寺、三重塔。木樹が深く三重塔の全体像を撮るのは出来なかった。冬場の葉が落ちた頃、ぜひ又訪れてみたい

さて、次回は4月28日の午後から訪れた奈良の室生寺になるが、一日で四つの寺院巡りは疲れるのぉ~。


三重塔 岩船寺 京都、木津川 [古刹]

4月28日、海住山寺の五重塔を撮影してから浄瑠璃寺の三重塔へ行くつもりだったが、カーナビを装着してないので道に迷い(20万分の1の地図と車にあるモバイルパソコンを見ながら、自分の頭で判断してのドライブ、疲れるけれど意外とハプニングがあり面白い)途中で岩船寺の案内板があり、近くに三重塔がありそうなのでそこへ寄ってみる事にした。

いきなり岩船寺の三重塔が現れた。ちゃんとベンガラ色の色彩が施されていて綺麗だ。層塔のある場所はだいたい静かな山間にあるので、今の季節は緑豊かな森林を、まだ見ぬうちの期待を弾ませながらのドライブは楽しい。

次は同じ、京都府木津川市加茂町にある浄瑠璃寺。

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岩船寺 三重塔、周りの緑に映えている。重要文化財、室町時代 嘉吉2年(1442年)建立 本瓦葺

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岩船寺 三重塔、正面から

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岩船寺 三重塔、ちょっと斜向かいから

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岩船寺 本堂。 聖武天皇の勅により行基が奈良時代の天平元年(729年)に開創したと伝えられている。.....とすれば歴史のあるお寺になる、因みに現在は真言律宗の寺院だそうです。


五重塔 海住山寺 京都、木津川 [古刹]

4月28日早朝、京都、木津川市加茂町にある海住山寺(かいじゅうせんじ)を訪れた。結構、山深いところにあり、途中の寺への道で、しだれ桜が満開で朝日に朝露が光っていた。境内に入ったらちょうど住職が朝の筍取りから戻って来て、その軽トラックの荷台に大小の筍がたくさん無造作にのせてある。小学生ぐらいのお子さんとご一緒で、「やぁ、いらっしゃい。筍、お好きなのもっていきなさい」と車からビニールの袋を出してくれた。ボクは筍が大好きなので、ずうずうしくも小振りのものを二本頂いて「ありがとうございます!」。しかし、なんと気さくな住職なのだろう、と云うか関西人の機微に触れた思いだ。

帰りの寺の山道に、こんな看板が立てかけられていた。

      幸福を他にもとめてはならない、自分の心に育てよう。  山主合掌

なるほど、なるほど。ボクの場合、心に育ち過ぎてメタボ気味で、心臓に負担が......

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しだれ桜、朝の弱い日差しに、キラキラ朝露が光っていた

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海住山寺 五重塔 国宝 鎌倉時代初期 建保2年(1214年建立) 本瓦葺

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海住山寺 五重塔 鎌倉時代のものとして唯一残る五重塔だそうです。最下層に裳階(もこし)がついているが、建立後10年ほど経ってから設けられたそうです。法隆寺の五重塔も同じように裳階がついている。

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寺への道、入り口付近に駐車スペース、愛車スバル・プレオを停めておいた

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寺からの帰路で茶畑が見事、こんな山懐に海住山寺・五重塔はあった

関連ブログ - 法隆寺・五重塔: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-10-12

三重塔 一乗寺 兵庫 [古刹]

前回の4月25日に訪れた仁和寺は京都の右京区にある。翌4月26日、そこから兵庫の加西市にある一乗寺の三重塔へ南下して、大袈裟に云えば、日本海に近い京都から太平洋に近い兵庫の加西市移動した事になるが、無計画の旅なので無駄な行程も致し方ない。さらに、明日4月27日は「温泉大好き人間」として是非行きたい、兵庫の城崎温泉、再び日本海に近い温泉地を訪ねる事になる。

一乗寺の歴史は古く大化5年(649年)あたりの開基になるそうです。案内書に、こんな詩が載っていた。

      春は花 夏は橘 秋は菊、 いつも妙なる 法の崋山

そして、三重塔は平安時代の承安元年(1171年)建立、国宝で藤原様式の秀作として日本建築史上名高いとある。他に建築物はあったがお疲れなのか常行堂のみしか撮っていない。

ところで、ボクは箱根の日帰り温泉によく行くが、昨日5月19日、国道134号・国道1号を通ったのだが大阪・福山・三重・豊橋・時には佐世保・北九州ナンバーのトラックや近県の観光バスが3・4月と比べると多くなった。震災以降、落ち込んでいた物流の動きが、景気が、徐々に持ち直しているのかも知れない。関東から関西への一般道の幹線、渋滞に巻き込まれるのも、ボクは喜ばなくてはならない??

次の掲載予定は:
4月27日として城崎温泉・温泉寺・極楽寺 兵庫
4月28日として海住山寺・岩船寺・浄瑠璃寺 京都木津川
4月29日としてお伊勢さん 外宮・内宮 三重

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一乗寺 三重塔 国宝、平安時代、承安元年(1171年建立)本瓦葺

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一乗寺 常行堂 明治元年(1868年再建) 当初の常行堂は聖武天皇(在位724-749年)の勅願により建立とされるが、嘉吉の乱(室町時代1441年)に焼失、さらに天文2年(1533年)再建するも焼失。それにしても三重塔は、なぜその様な騒乱や火災から守られているのか? 不思議だ.....

石庭 龍安寺 京都 [古刹]

4月25日、仁和寺の近くにある石庭で有名な龍安寺に寄ってみた。白砂(石)の庭に面した縁側で、大勢の観光客が座り、何やら覚りを得ようとしているかのごとく石庭をジィーと眺めている。外国人もいらっしゃる。ボクは石庭も見事だと思うが土塀にその風雪に耐えた歴史を感じ興味を抱いた。

龍安寺の説明によると、この土塀は油土塀と称し菜種油を混ぜ入れ練り合わせた土で作られており、白砂からの照り返し防止や長い風雪、環境変化に耐えぬく、非常に堅牢なつくりに仕上がっている。ちなみに石庭面は、外側の地面から80cmほど高い場所に位置する。これも強固さを保つ為の工法上のくふうによるという。さらに、一見水平に見える石庭だが、排水を考慮し片方に低くする工法が施されそれに合わせて土塀も低くなるように作られていて鑑賞者の錯覚を利用し、視覚的にも奥行きを感じさせるための土塀の高さを計算し、遠近法を利用した高度な設計手法がとられているとのこと。なるほどなるほど!

それにしても、明応8年(1499年)、細川政元の時代に築造されたと伝えられている。昔の人は景観を鑑賞するに長けていたのだと、ほとほと感心する。

次回の予告: 翌日4月26日は兵庫県の一乗寺の三重塔を訪ねた。

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龍安寺石庭、照り返しでまぶしく、なるべく遠くをみていた

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龍安寺石庭、外国人も縁側で胡坐をかいて座っている

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龍安寺土塀、龍安寺の外側、歴史を感じさせる土塀をしげしげと観察する


五重塔 仁和寺 京都 [古刹]

ボケッーとしていると月日はぐんぐん進んで行く、年齢を重ねるとそのスピードは増してゆくみたいだ。以前は旅をしたらすぐブログに記事を掲載したものだが、今は大量の写真の整理が出来ないので、時間が掛かってしまう。さらに判断力も弱くなり、その写真の選択もなかなか出来ない。

先月4月も末近くの24日、夜の20:30に、どこかへ行きたい症候群の発作が起こり、何の計画も無く横浜から関西方面に軽自動車のスバル・プレオを走らせた。東名・名神と深夜ぶっとばし、翌朝、京都南I/Cで降りて仁和寺に向かった。天気は生憎の小雨模様だったが傘を差すほどでもない。久し振りの京都の佇まい、と云うか雰囲気に、ちょっぴり興奮しながらも心が和む。

国宝の金堂などがあり、境内は広い。さすが京都の有名な寺院、真言宗御室派の総本山、だけある。近くの駐車場の料金¥600、拝観料¥500を払って仰ぎ見る五重塔は立派だ。

仁和寺のHPより抜粋: 仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から「仁和寺」となりました。

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仁和寺 五重塔。 国指定重要文化財、江戸時代初期寛永14年(1637年再建)本瓦葺

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仁和寺 金堂。 国宝、江戸時代初期慶長16年(1611年造営) 仁和寺の再建時に旧皇居より下賜された建物の一つである。それは旧皇居の内裏において、紫宸殿(儀式が行われる正殿)として利用されていた。移築後も基本的な構造はそのままに屋根を桧皮葺から本瓦葺に変えた。どうりでなんとなく重厚さと気品に満ちている。

P4251609仁和寺山門仁和寺山門の二王門は京都三大門の1つで江戸時代(1637~1644)建立。.jpg
仁和寺 仁王門。 京都三大門の1つで江戸時代(1637~1644)建立。


身延山久遠寺 五重塔 山梨県南巨摩郡身延町 [古刹]

12月24日、本栖湖でなかなか傘の取れない富士山の写真を撮ってションボリ身延山へ向かった。それは12月7日千葉県市川市・下総中山にある日蓮宗の正中山法華寺の弁柄色に塗られた五重塔を久し振りに見たので、同じ日蓮宗の身延山にある弁柄色に塗られた五重塔を(去年の9月落慶の時、訪れているのだけれど)写真に撮りたくなった。

本栖湖からの国道300号「本栖みち」くねくねの山岳道路を下部温泉へ、ここで下部町営の温泉に浸かった。前に来た時は時間が早くて開いてなく今日は念願の入湯。温泉の窓から渓流が見える。駐車場で一休みしてから国道52号へ出て富士川沿いに身延山への道に...。すぐに身延山久遠寺の三門に着いた。前述の市川市法華寺の山門は江戸時代の建立、こちら身延山の三門は明治時代の建立だが大きく立派である。それにしても身延山久遠寺は日蓮宗総本山のお寺だけあって、境内の規模が大きい。

五重塔のある場所は何時来ても気分が良い。これからも、そんな五重塔のある場所に訪れたいが、それには身体が動けるような程度に、ほどほどに健康でなくてはならない。今年も晦日になってしまった。これから箱根湯本の温泉に行って、この一年の血液にたまった澱を綺麗にして来よう。

それでは皆様、佳い新年をお迎え下さい。

温泉大好き人間 - 鋭理庵

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身延山・三門 1907年(明治四十年)建立。総欅造りの門だそうです。間口42m、奥行き11m、高さ22m。

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五重塔 2008年(平成20年)11月に竣工式がおこなわれた。設計から工法にいたるまで400年前に建てられた元和時代の塔を復元しているそうです。高さは38.2mで全国4番目。日本最古の会社(飛鳥時代からの)金剛組の宮大工により日本最新の(多分平成最後の)木造建築の五重塔が建設されたのは興味深い。

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祖師堂 江戸時代の優れた建築物で1875年(明治八年))の大火で焼失後、1881年(明治十四年)再建され1994年(平成六年)八年がかりの大改修が行われたそうです。どうりで新しく見えます。

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三門に掲げてある「身延山」の幾分小さめの額、これが私には御利益のある源のような気がして、妙に気になった。

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三門入口 そろそろ新年を迎え国旗と宗旗(?)が掲揚されているが、日の丸はこのようなところに似合うようだ。

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三門内部 身延のポスターにある「心音」、「森観」、「妙春」。いづれも気になる言葉。深い意味があるのだろう...

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本堂 1875年(明治八年)山内の諸堂とともに焼失したが、1955年(昭和六十年)信徒の浄財によって再建されたそうです。どっしりとして立派な本堂です。

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本堂と祖師堂 境内の広さがわかります。

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仏殿 1931年(昭和6年)建立。

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五重塔 少し離れたところから撮ったもの

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五重塔の初重部分 弁柄塗りも新しい

関連ブログ: 身延山五重塔 http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-11-01
関連ブログ: 身延山久遠寺 http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-10-17-1

正中山法華経寺 五重塔 市川市下総中山 [古刹]

長い間、更新もせずに放っておいたのですが、毎日、このブログを訪ねて下さる方がいらっしゃるのには驚きです。今日も朝の4:38現在、102名の方がアクセスしてくれています。累計271,338アクセス、本当にありがとうございます。来年の事を云うと鬼が笑いますが、もう少し更新の頻度を増やそうと思っています。

12月7日、高校時代の学友達と千葉県の市川で飲み会があった。その前に、横浜から市川くんだりまで来るのだからと、層搭好きの私を気遣って、学友のTO氏の案内で下総中山にある日蓮宗総本山正中山法華経寺を訪ねた。「正中山」と額が飾ってある結構重厚な山門・仁王門をくぐり、真っ直ぐ五重塔に向かった。

赤茶けた色(弁柄塗りと云うそうです)を施した五重塔は、久し振りに見る層搭なので、ちょっと興奮した。かなり広い境内に日蓮宗霊蹟総本山と名乗るだけあって格式のある実に堂々として立派な五重塔であった。嬉しい事にちょっと離れた所に杮葺きのなだらかな曲線のある屋根(比翼入母屋造と云うそうです)法華経寺祖師堂がありました。これも見ていて心が安らかになる日本建築の様相です。

広い境内にはまだ沢山の重要文化財があるのですが、飲み会の時間が迫っているので、後ろ髪を引かれる思いで法華経寺を後にしました。横浜から2時間近くかかるけれど、もう一度、訪れたい五重塔である。

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法華経寺山門(仁王門) 廣瀬弥兵衛と云う名大工が建てたとの事。年代は不詳。

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法華経寺五重塔 重要文化財 1622年(元和8年)建立 瓦棒銅板葺

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法華経寺祖師堂 重要文化財 現在の祖師堂は1678年(延宝6年)に上棟 杮葺

参考URL 比翼入母屋造: http://www010.upp.so-net.ne.jp/teiryu/Cb02.html

三重塔 横蔵寺 (3 storied pagoda, Yokokura-ji, Ibigun Tanikumimura,Gifu) 揖斐郡谷汲村 岐阜 [古刹]

今回の岐阜県にある三重塔の旅、最後の場所は谷汲山と云う岐阜市内から北西の方向へ国道157号を30km程の距離になる。岐阜県でのドライブは5・6年前に一度来たが、最近の4月に東北地方、福島・山形を三重塔巡りでのドライブでの道路標識にかなり違いがあるのが分った。

国道は別として地方道の道路案内板の標識が岐阜県は少ない。従って、疲労度も気温が異常に高く、ピークに達していたからかも知れないが、この横蔵寺、谷汲山への道は迷いに迷った。同じ道を何度も何度も走り、疲れ果ててようやく辿り着いた。20万分の1の地図で現在地を知るのに、新しい道などが出来ていて、さらに道路の県道の番号すらないので苦労した。

随分山の中にあった。駐車場に¥300を支払って車を止めたが、何だか急な参道があり悪い予感がした。三重塔の写真を撮るのには周りに少しスペースが無いと全体の形が撮れないのだ。横蔵寺の入口、仁王門はいかにも由緒ある様な佇まいで私を迎えた。やはり三重塔のある場所が狭く、写真を撮るには新緑のモミジが邪魔して全体を撮れない。冬の雪景色の頃が良いのかも...。逆に、この様な狭い場所に江戸時代の初期に資材を運び建立したのには驚きだ、仏教界、天台宗の力は偉大だったのが想像出来る。本堂は修復中で囲いがしてあったが、横蔵寺の雰囲気は良い。いつか冬場にもう一度来てみたいと思った。

この寺の最大の(世間・地元で)有名な事と思われるのは舎利堂にあるミイラ、妙心上人が祀られてある事なのだろう。当地、横蔵の生まれで1815年(文化14年)に山梨・御正体山の洞窟で断食し、そのまま入定(聖者が死去する事)されたとの事。気が弱い私は、足早に大きなガラスのケースの前をチラッと黒っぽいミイラを見て舎利堂を出た。

さあ、これから長良川の中流にある郡上八幡へ行ってみよう、なんだか渓流釣りに良さそうな場所なので、一度チェックしてみたかった。谷汲山から岐阜市内に出て美濃から国道156号で北上すれば郡上八幡だ。途中夕方なのに道路にある温度表示は31度を示している、どうりで今日は暑い日なのだ。長良川沿いの国道は気持ちよくドライブが出来る。高速道路は味気ないが一般道は風情があるし景色も変化がある。自転車や徒歩ならもっとよかったろう。まもなく、と云っても80kmぐらい移動してようやく郡上八幡の駅に着いた。そこで記念の写真を撮り、その近くの渓相も撮った。川魚の水面への斑紋が見え魚影が濃さそうだ。さぁ、夕方なので郡上八幡のI/C から高速道路で横浜へ帰ろう。疲れもひどく、限界のようなので途中のSAで何度も眠りながら翌日5月11日の朝5時15分に住まいに戻った。走行距離は1045.2km、結構走ったな!

今日は5月14日、疲れが未だに取れない、箱根湯本の温泉にでも行って来よう。

横蔵寺三重塔 建立は1663年(寛文3年) 岐阜県指定文化財 桧皮葺

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駐車場から横蔵寺への途中で見える近くの山景色

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横蔵寺の入口仁王門、建立は1675年(延宝3年) 横蔵寺の風格が判る

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三重塔、うわっ、場所が狭そう。写真を撮るのには狭すぎる

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三重塔、全体像はこれがせいいっぱい。でも周りの雰囲気は抜群!

P6むげ川道の駅牛乳瓶の牛乳を飲む.jpg
岐阜から美濃へ向かう途中の道の駅で牛乳瓶の牛乳をゴクゴク飲む

P7長良川美濃・郡上八幡へ国道156号.jpg
長良川沿いの国道の温度表示、夕方近くなのに31度

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長良川沿いのドライブ、気分が良かった。一般道はいいな ♪

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長良川鉄道の郡上八幡駅

P91長良川鉄道郡上八幡駅ホーム.jpg
郡上八幡駅のホーム、一時間に一本あるか無いかの時刻表。ノンビリしていて、良いなぁ~ ♪

P92長良川と吉田川の合流近くの渓相、郡上八幡.jpg
郡上八幡近くの渓相。最近渓流釣りはやってない、いつか来よう。5.4mの渓流竿を出している自分を想像していた


三重塔 日吉神社 (3 storied pagoda, Hiyoshi-shrine, Goudocyou,Gifu) 安八郡神戸町 岐阜 [古刹]

美濃平野の関市から岐阜市街を経て大垣平野の安八郡神戸町へ走りぬけ、日吉神社にある三重塔を訪れた。距離は35km位だが一般道ではかなりの距離になる。昼下がりの午後1時半頃に着いた。立派な神社の境内の本殿には、お二人でのご婦人がお参りをしていたので、距離をおいて待った。

しばらくすると、地元の男性の方が見え神社の社一つ一つにお参りをして、お賽銭を奉り布で賽銭箱を拭って清掃していた。地方ではどこでも熱心な参拝者がいるのに感心する。私も人がいなくなったのを見計らってお賽銭を投げ入れ、安全な運転と無事に横浜に戻れるよう祈り、頭を垂れた。案内板によるとこの日吉神社は伝教大師、最澄が817年(弘仁8年)に創建し、比叡の鎮守山王大権現の分身を祀られた、そして当初の三重塔は大師の神仏習合の思想に基づき平安の昔に建立されたものであるとの事。

関市の新長谷寺とは違い、オープンで「訪れるものを拒まず」で不必要な看板などは一切無く、地元の人々の篤い信仰で守られているのに違いない。手水舎では地元のお子さん達が水が出ているカエルの置物に水をかけて遊んでいたので、「今日は暑いからカエルさんも喜んでいるでしょうね」と話しかけたらニコッと笑っていた。途中の道路にある温度表示では33度を示していた。

文献によれば、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と云う仏教を排除しようという考え方の前は、神仏習合と云う日本独自の神社の中に寺院があって、年中行事を寺院と共同でとりおこなう神社が各地にあったそうです。長野県の新海三社神社も日吉神社と同じだったと思います。

三重塔は国指定重要文化財 建立は1504年(永政元年) 桧皮葺

次の三重塔、揖斐郡の谷汲山にある横蔵寺へ行かなくては、ああ、忙しい.....、トホッ

Camera Olympus Digital C-750UZ
P1日吉神社本殿.jpg
日吉神社本殿ではお参りのご婦人方がいらっしゃった

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日吉神社本殿右横の祖霊社。これも桧皮葺

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日吉神社本殿左横の摂社。これも桧皮葺

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日吉神社三重塔。美しい容に惚れ惚れする

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三重塔の周りの佇まい

P三重塔、立去り難い.jpg
三重塔、なかなかこの場所から立去り難く、近寄って撮ったもの

関連ブログ- 新海三社神社: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-08-30


三重塔 新長谷寺 (3 storied pagoda, Shincyoukoku-ji, Sekishi,Gifu)  関市長谷寺町 岐阜 [古刹]

5月9日土曜日、長女宅での母の日と私の誕生日を兼ねた細やかなランチパーティを開いてくれた。新しい茶色のプードル犬のお披露目もあり、孫と次女、三女も加わって、楽しいパーティだった。終わってから住まいに戻り、夕食を食べてから早めにベッドに入った。

夜の9時ごろ目が覚めた。4月初旬に三重塔の写真を撮りに福島と山形に行っているので、今度は西の方、岐阜あたりに行ってみようとやおら起きあがり、家の者に「ちょっと、三重塔の写真を撮りに出かけて来る」「エッ、今から?」と、いつもの突然の発作みたいな私の行動を知っているから、手際よく薬や下着の替え、そして飲み物など整えてくれた。

夜の10時30分頃、愛車の軽自動車、スバル・プレオに乗って横浜を出発した。国道134号の大磯の手前から国道129号で東名高速厚木 I/C に向かい高速料金ETC¥1000を利用して名古屋、小牧を経由し翌日の朝、東海北陸道の関 I/C で下りて新長谷寺(しんちょうこくじ)に向かった。ナビなどなくても20万分の1の全日本道路地図で事足りる。蛇の道は蛇の如く、鼻が利くのでだいたいは、迷わず行ける。ところが、近くに来て、三重塔の上部は見えるのだが境内への道がなかなか見つからず、何回も周囲を廻りようやく地元のお年寄りに、「新長谷寺の三重塔はどこですか?」「あっ、吉田観音(きったかんのん)ね!そこ真っ直ぐに行けば広い参道がありますよ」との事、地図上で最短距離の道を選んでも駄目なのが分った。それに地元での愛称は文献の呼称とは違うのも....。

寺の入口、総門の持つ雰囲気が良い。朝の7時頃なのでお参りのご婦人が寺に向かって頭を下げていた。境内に入ると真っ直ぐお目当ての三重塔に向かい、興奮を抑えながら逆光なので一枚、脇の方から撮ってみたが、何やら大き目の看板で「撮影禁止、観光地ではありません、仏さまの信仰の場所です」、そして小さめに「本堂からの撮影が一番良く撮れます、寺の者に相談して下さい」とあった。入口付近のお守りなどの売店に人はいなかったが、しばらくすると寺にお勤めの婦人が来て「写真はだめですよ!」とカメラを持っているので私にいきなり近づいて来た。「横浜からわざわざ来たので、写真を撮りたいのでお寺の方に相談したいのでが?」「じゃ、私が話して来るからそこで待っていて下さい」「お願い致します」。ちょっと時間をおいてから「あちらの本堂へ廻って下さい、住職に話しておきましたから」との事。呼び鈴を押すと寺の住職らしき人が出てきて「これをどうぞ..」とパンフをくれた「三重塔の写真を撮りたいのですが..」「それなら、¥1000頂きます」との事。何て事はない「仏の願いも金次第」の典型だ!

その本堂は三重塔から程遠く、全体像は撮れなくて「後で境内で写真を撮って良いですか?」「駄目です!罰があたります、貴方本人だけでなく一族が滅亡します」と脅す。実に嫌な思いをした。その思いとは裏腹に、境内にある薬師堂、客殿とか三重塔は全て桧皮葺で歴史を感じさせる建造物だったが、写真には撮れなかった。境内の雰囲気は美濃名刹に相応しく抜群であるが、撮影禁止の立て札が異常に大きく興ざめであるのがおしまれる。

長距離を高速で走ったので(走行時は時速80~100km)、岐阜スバルのディーラーでエンジンオイルを交換してもらった。横浜ナンバーの車とメーターの距離計が162464kmになってるのに驚いてスバルのフロントの人が話しかけて来た。「すぶん走ってますね!」「ええ、でも車のエンジンは調子良いですよ」、そして私は岐阜の三重塔を撮りに横浜から来た旨話すと、「吉田観音の以前の住職は良い方だったが、今の住職に代って評判が悪い」とのこと、地元の人はその辺に詳しい。

三重塔は国指定重要文化財、建立は室町時代 1463年(寛政4年) 桧皮葺

Camera Olympus Digital C-750UZ

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吉田観音(きったかんのん)新長谷寺(しんちょうこくじ)の総門

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三重塔、新長谷寺

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三重塔、本堂から¥1000を支払い、もったいなくも撮らさせていただいたもの

さあ、次の岐阜県安八郡神戸町にある日吉神社の三重塔を撮りに行かなくては.....。

関連ブログ- 真禅院三重塔: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-09-19
関連ブログ- 阿久津八幡神社三重塔: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-04-06

三重塔 法用寺 (3 storied pagoda, Houyou-ji, Aizutakada, Fukushima) 会津高田 福島 [古刹]

今回の山形・福島の三重塔を訪ねる旅も、いよいよ最後の会津高田にある法用寺に向かうが、もう夕方になってしまった。隠津島神社のある東和町国道349号の道の駅「ふくしま東和」で休憩をし、食事でもと思い中華料理のメニューのタンメンをたのんだ。出来るまで車に戻り地図を取りにいっていたら、コックさんがタンメンが出来上がっているので私を探しに来てくれた。スープを啜ると、すごくおいしかった。期待してなかったので、その美味しさに疲れも吹っ飛んだ。そのコックさんは日本語も上手に話せる、多分中国からの人と思われた。

郡山に出て国道49号で会津高田方面に行くわけだが、もう外は暗いので、郡山の市街地を出てすぐの喜久田付近で「東洋健康温泉センター」の看板が出ていた。なにやら大きな温泉施設みたいなので、疲れを取るため仮眠でも出来ればと思い切って入ってみた。入場料¥2000ちょっとで翌日の午前2時までOKとのことなので露天風呂、薬草風呂などを楽しみ温泉を楽しんだ。しかし、いつもの事なのだが、目的地があると深夜でも車を走らせそこまで行ってしまうのが私の癖なので、温泉でも仮眠は出来ず落ち着かない。

意を決して健康温泉センターを出て、やおら車を会津に向け走らせた。国道49号はこのあたりでは幹線なのだろうが、この時間帯は車もまばらでゆっくり走らせる事が出来た。夜の猪苗代湖の周辺を走り、何度か道を間違えたりしながら会津高田の法用寺に辿り着いた。時間は4月5日午前2時03分だった。境内近くの空き地で車を止め、車中で寝てしまった。目が覚めたら朝の6時頃で外は明るくなっていたので、キャンプ道具を持参していたので朝の簡単な食事を作り(ニンニク・キャベツ・玉葱・椎茸を炒めてスープを、それにインスタントの塩ラーメンを入れて、これが結構美味しい)、そしてコーヒーを沸かしていたら、ご近所の方が犬を連れて朝の散歩らしく「おはようございます」と挨拶して来たのでちょっと話をする事が出来た。「この法用寺の本堂は前は桧皮葺だったけれど、銅板葺きになった」とか、「虎の尾の桜(福島の五大桜の名所)が咲く頃は観光バスが来て込み合う」だとか、地元の人がこのお寺、法用寺をいかに自慢にし、大切にしているかが、言葉の端はしに感じられた。

法用寺三重塔は、その容の良さにカメラのシャッターを夢中で何枚も切った。そして朝7時11分に、後ろ髪を引かれる思いで、法用寺を後にして横浜への帰路についた。

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法用寺本堂、会津地方の天台宗の中心的立場の古刹で大きな影響力を持ったとの事。現在残っている建築も、本堂内にある厨子は鎌倉時代、三重塔は江戸時代など古いものが多く境内は厳かな雰囲気に満ちている。

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法用寺三重塔、案内板によると会津地方に現存している唯一の塔遺構で禅様式後(末)期の手法によるものとの事。安永元年(1780年)建立 高さ約19m 銅板葺(当初は杮(こけら)葺) 福島県指定重要文化財

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法用寺三重塔、正面は10mぐらいの空き地で、がけになっており、全体を撮るのは難しい

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法用寺三重塔、初重部分

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法用寺三重塔、二・三重部分


三重塔 隠津島神社 (3 storied pagoda, Okitsushima Jinjya, Touwa, Fukushima) 東和町 福島 [古刹]

遠刈田温泉で一湯浴みして、次の三重塔、隠津島神社(おきつしま)がある福島県二本松から東へ約10kmの東和町へ車を南下させた。山間部は未だ冬の景色から抜け出せないで、遠くの山々は墨絵のようで、里山も所々残雪があり樹木も堅く閉ざしている様な景色が続いていた。

横浜を出発する時は桜の花も満開に近い状態だったのに、この宮城・福島地方では梅がチラホラ程度で改めて気温の違いに驚く。遠刈田温泉からは、昔よく利用した県道12号で白石に出て、さらに国道4号(白石市、伊達町)、399号(伊達町、月館町)、349号(月館町、東和町)と順調に快適なドライブを楽しみ、その東和町から木幡山にある隠津島神社への道はなんと林道である。これには予期してなかった林道大好きな私には、願ったり叶ったりで、杉の落ち葉と雪代のあとで汚れた林道クネクネと高度を上げて登って行った。

神社の参道はいきなり石の階段で、息も絶え絶え登り、途中で大きな杉の樹があった。その中に国指定天然記念物の「木幡の大スギ」があり、樹齢700年以上にもなるとの事。この辺りは海抜660mで登り詰めると朱色に塗られた三重塔があった。残念ながら初重部分は修復工事中で囲いがしてあり、層塔の全体像としては写真にならない。とりあえず、二重、三重部分と宝輪を主に記録として写真に撮ってみた。さらに上にある隠津島本殿への石の階段を登った。いつか初重部分の修復工事が終わった時点でもう一度来て写真に撮ろうと思う。

山の中の神社は殆んどが厳かな雰囲気を醸し出していて、現代語ではオーラとでも云うのか、私の心は打ち震え、そして興奮しながら夢中でシャターを押した。その無礼を詫びながら、お賽銭を入れさせて頂き、自然と二礼二拍一礼をする自分に苦笑するのだった。誰も居ない境内は静かで本殿の正面の彫物の飾りなどをしげしげと観察し、私が独り占めしている、この今の瞬間を奇妙に思えた(4月4日土曜日15時29分06秒)。

木幡山を後にして林道を下りながら次の目的地、会津高田にある法用寺三重塔へのルートを考えて、そして時間が遅いので明朝になってしまうと思うと、疲れがどっと出てきてしまった。

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遠刈田温泉、壽の湯。久し振りにこの温泉を訪れた、昔、山形方面へ抜ける時、ここへ必ず寄って温泉で疲れを癒し、次のドライブへ向かったものだった。この温泉は温度が高く入るのも大変だったけれど、湯から出た後でシャキットしたのだが、今はちょっとぬるくなっていて、それでも他と比べると熱いけれども、ちょっと拍子抜けだった

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山間部の残雪

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里山も冬から未だ抜け出せない

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林道の標識がある。私の大好きな林道をルンルン気分で登る

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隠津島神社への参道は長い石段だったが、一気に登ってしまうほど、樹木に囲まれた周りの雰囲気に興奮していた。

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参道途中での巨木の大杉、こんなのがそこらじゅうあるのには圧倒された

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「木幡の大スギ」、国指定天然記念物で樹齢700年以上との事

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隠津島神社三重塔、福島県指定文化財、建立は室町時代 文明四年(1472年)、銅板葺、高さ 約20m。江戸時代の延宝二年(1674年)に二本松藩主丹羽光重が改築、明治三十五年「1902年)付近の倒木により破損したので 大修理。現在、初重部分の修復工事中

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隠津島神社本殿

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隠津島神社本殿正面

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隠津島神社の飾り彫物






三重塔 阿久津八幡神社 (3 storied pagoda, Akutsu Hachiman Jinjya, Takahata Yamagata) 高畑 山形 [古刹]

4月3日の夜、山形と福島にある三重塔の写真を撮りに例の高速道路料金改悪(差額を税金から補填し...、ガソリンに特別暫定課税されている税金の、道路受益者負担・還元か?それも土日のETC装着普通車のみ...、元道路関係四公団民営化推進委員会事務局次長の片桐幸雄氏曰く、「政府案の高速料金値下げの恩恵を受けるのは、休日に、高速道路を、普通車で走り、しかもETCを使用するという4条件を満たす人に限られます。トラック輸送のコストが下がるわけでも、高速を使わない国民が恩恵を受けるわけでもありません。しかし、例えば、ガソリンの暫定税率を下げれば、ガソリンを使う人、業界、すべてが潤います。それによって国民負担は兆円単位で軽減されると見られています」との事。国交省の役人達に「あっ、そう」と、ころりと騙される現与党が考える案は、裏に何かからくりがあるのに違いない-下記参照)を利用して東北道をまっしぐら仙台の手前、国見I/CでおりるがETCは「料金は¥1400です」、あれっ、¥1000ではなかったの?東京の平和島I/Cから入って首都高速東京は別勘定ではなかったのかな?請求がされた時点で精査してみたい。

『ETCを管轄する天下り財団法人「道路システム高度化推進機構」では、今回のETCブームで莫大な利益が約束されている。財団役員には、国交省や経産省からの天下り役人以外に、車載器メーカーやカード会社の幹部も入っている。少なくともこの9月には総選挙も終わり、2年間の高速料金値下げ期間が終われば、庶民にはETC車載器だけが残り、永久に金を取られ続けることになる。』 2009年の3月時点での見解

途中のPAで休み休み、そして仮眠を取りながら翌日の朝、国見I/Cを出た。国道113号羽州街道(七ヶ宿街道)を目指して国見から小阪峠を経て国道に向かうが、なんとその道は林道のような、くねくねとした道路で、急にぐんぐん高度を上げて、私好みの道路であった。途中で赤い鳥居があり、幸先の良い道路で思わず笑みが込み上げ嬉しくなる。間もなく宮城県と山形県の県境、小坂峠に着いた。

車をとめて、眼下の伊達平野を眺め昔の人の健脚に驚いた。なぜなら案内板によると江戸幕府は諸大名に参勤交代を義務付け出羽国の諸大名は古代よりの笹谷峠越に奥州街道の宮宿にでる最上道(現在は国道286号)が利用されるが、冬季は豪雪や吹雪により通行に支障をきたすので秋田藩は山形より上山宿を経由し、標高が低く積雪も少ない金山峠越えに、なだらかな白石川沿いから、小坂峠の急な坂道を下り桑折宿に出たとの事。

国道113号に出て七ヶ宿湖のちょっと手前に材木岩・検断屋敷などの標識がありわき道に入り旧上戸沢検断屋敷木村家住宅(仙台藩において町場に置かれ宿駅の一切の仕事を取締り統括する重要な職務であった、その他大名やその家族たちの宿泊、休息の場にもなったとの事)や材木岩を写真に撮り、白石川沿いに国道113号を里山の景色を眺め、そして遠くには山形の積雪のある山々が見え隠れして羽州街道の快適なドライブを楽しんだ。

高畠道の駅に着き、その道路の向こう前に三重塔があった。柵や囲いは無く、親しみのある神社一帯である。東北地方の層塔のある場所は何れも柵や囲いは無く、三重塔の側で愛車のスバル・プレオも一緒に写真を撮ることが出来た。さらに拝観料も無い場合が殆んどだが、関西地方の観光地にある神社・仏閣とは大違いである。神社本殿と奥宮があり、奥宮の屋根は新しい萱で葺かれてあった。日本の伝統が継承されているのだろう、なんとも云えない屋根のカーブに雪代でよごれた足元も気にせずに、暫し見惚れてしまった。

さっ、ここまで来たのだから遠刈田温泉にでも寄ってみようと、車をさらに北に向け、蔵王山を見ながら徹夜のドライブで疲れた体が温泉での休息を要求していた。

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地方道45号線、国見からぐんぐん高度を上げ、間もなく赤い鳥居が見えてきた。萬蔵稲荷神社の名が....

P2小坂峠の県境山形県側から.jpg
小坂峠の県境、山形県側からの写真。向こうは宮城県になる

P3小坂峠からの伊達平野.jpg
小坂峠から眼下に見える伊達平野。急な木の階段を登り降りする昔の人の健脚に感心する

P4旧上戸沢検断屋敷木村家住宅.jpg
旧上戸沢検断屋敷木村家住宅。下記URL参照

http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/welcome/guide/015.html

P5検断屋敷の茅葺屋根の反り.jpg
この検断屋敷の屋根の微妙な反りのカーブに日本伝統建築の美を見る

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材木岩と白石川。きれいな流れで川魚が釣れそう

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国道113号(羽州街道)から見る景色の里山と云うか雑木林に残雪が多く見受けられる

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阿久津八幡神社 三重塔 銅板葺き 高さ17m 山形県指定有形文化財 
最初、寛永2年(1625年)に建てられたが寛政2年(1790年)烈風により倒壊、寛政5年(1793年)に再建に着手して寛政9年(1797年)に完成したものとの事。

P81スバル・プレオと三重塔.jpg
愛車スバル・プレオも記念に一緒に撮る。こんな事も出来る東北地方の、おおらかさが大好きです

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阿久津八幡神社本殿
現在の本殿は寛保3年(1743年)に消失した社殿を米沢藩上杉氏九代定重の代、宝暦5年(1765年)に再建されたものとの事

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本殿の屋根、苔生している

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奥宮の修復中の新しい屋根。微妙なカーブが、日本伝統建築の美が、ここにもはっきり見る事が出来る

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残雪の蔵王山が遠くに見える。遠刈田温泉はもうすぐだ

散歩 ポタリング 金沢文庫 称名寺 (Pottering in the neighbourhood, Kanazawa-Bunko, Shoumyou-ji) [古刹]

今日は晴れていても気温は低かったが、毎日の運動の為、自転車に乗って称名寺、金澤文庫を訪れた。称名寺境内は反橋が完成していて4月初旬の完成式の前に臨時に開放されていたので、早速渡ってみた。反橋から入口の方にある仁王門を眺め、鎌倉時代の学問好きな武士、北条実時に想いを馳せながら、苑池に泳ぐ鯉や鴨達をしばらくじっと眺めていた。近所の保育園児童も仲良く手をつなぎヨチヨチ歩きで保育士に連れられて賑やかに反橋を渡って来たので、フッと我にかえり「よし!金澤文庫の書庫で中国古典の本でも見てみよう」とトンネルの奥にある金澤文庫に行ってみた。そこは静かな佇まいで図書資料室に入り最初に「老子」の本、そして「荘子」の本を紐解き、紀元前の中国の偉大な思想家達の片鱗にほんの少し触れたような錯覚をした。

称名寺境内の桜はこの寒さで縮こまり、チラホラまでも咲いてなく、チラと一輪だけポツンと咲いていた。桜の種類はわからないが少し遅れているようだ(住まい近くの「ヨコハマヒザクラ」と比べると)。

帰りに小さなスーパーの魚売り場で活きのよい鯵、1パック5匹入り¥298の品、決め手は「平塚港朝獲れ!」を買ってしまった。住まいに戻り、三枚に下ろしてお刺身にし夕食のおかずとして食べた。新鮮な鯵は美味しいかった。もちろん中落ちと頭で潮汁にして大根の薄切りを入れてこれも美味しかった。

サイクルコンピューターは走行距離15.83km、平均速度10.9km、走行時間1時間26分を示していた。

使用カメラ: Digital Camera Olympus C-8080WZ

P反り橋をバックにBU.jpg
反橋をバックに愛車ブリヂストン・ユーラシア

P新しく改修された反り橋.jpg
新たに修復された反橋

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苑池から見る反橋

P平橋と反り橋.jpg
前に修復された平橋と反橋

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境内から見る仁王門

P称名寺のサクラ.jpg
称名寺境内の桜の開花状況

Pトンネルの奥に金沢文庫.jpg
トンネルの奥に金澤文庫

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トンネル内の広重の版画絵

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金澤文庫

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金澤文庫図書資料室

関連ブログ - 称名寺・金澤文庫:http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-10-27

仙台 大崎八幡宮 [古刹]

今年のお正月に深川の富岡八幡宮と横浜の富岡八幡宮にお参りに行った。深川の富岡八幡宮は東京の下町にある事もあって規模が大きく深川不動尊と相俟って立派な神社だ。一方横浜の富岡八幡宮はどちらかと云うと地元の人に愛されていて信仰の篤い神社だ。

深川の富岡八幡宮にはお神輿がガラス張りの庫の中に飾ってあって、バブル絶頂期に運送会社の社長個人の寄贈によるそうだが、ダイアモンドの何カラットの飾りを神輿の鳳凰の眼に入っているとか派手ではある。そしてあまりにも大きく、重たくて(4.5トン)実際には担げないそうです。

それに比べて2007年に訪れた仙台にある大崎八幡宮、ここは宮城県で二基ある内の一つの五重塔が仙台から西の大倉川の奥に定義如来と云う西方寺にあるので写真を撮りに行った時についでに寄ったもの、は実に気品のある八幡宮だったのを思い出し過去の写真記録をたどってみた。社殿は黒漆塗りで、そこのお神輿も同じ黒漆塗りだった。伊達政宗公が1607年(慶長12年)建立。仙台藩の守護神が祀られ、華麗で雅やかな桃山建築様式の建物が見事で、1952(昭和27)年、国宝に指定された、との事。派手さはないがズッシリとした歴史の重さを感じさせる社殿・お神輿であった。

仙台大崎八幡宮社殿19OCT07国宝.jpg
仙台大崎八幡宮・総黒漆塗りの社殿、1607年(慶長12年)建立、国宝

仙台大崎八幡宮神輿19OCT07.jpg
同じく黒漆塗りのお神輿

関連ブログ 
定義如来西方寺五重塔: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-10-20-1
東京下町散歩 深川不動尊・富岡八幡宮: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-01-14
横浜富岡散歩 富岡八幡宮: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2009-01-20

五重塔 身延山久遠寺 (Mt. Minobu Kuon-ji 5-storey Pagoda in Minobu Yamanashi) [古刹]

昨日10月31日、早朝の4時30分に愛車のスバル・プレオの軽自動車で、鎌倉・平塚・伊勢原から国道246号に出て、御殿場の付近のぐみ沢から国道138号、東富士五湖道路を須走から入り河口湖で降り、国道139号で本栖湖、下部、身延と、途中の道の駅などで休みながら9時30分頃身延山に着いた。走行距離179.5km。

参拝者の無料駐車場に車を置いて、急な坂道を久遠寺の五重塔まで15分も歩いたろうか、息も絶え絶えにたどり着いた。まず本堂に向かって拝礼をして、気持ちばかりの¥500硬貨をお賽銭箱に入れ、そこの場所が高くなっているから、じっと五重塔を眺めた。第一印象は思っていたより大きくなく、茶色の色彩が施されており、滋賀県・湖東三山の一つ、長命寺の三重塔と同じ塗りのように思えた。

観ているうちになぜか親しみを感じて来たのはなぜだろう?未だ11月5日の竣工式前なので、工事中の柵、と云っても形式的なものだが、その内側にある実際の白木の柵が背の低いこともあるのかも知れない。今までの層塔は国宝・重文だったので、殆どが鉄製の柵で人の侵入を防ぐ意味で堅固だが、その観点からすると、ずいぶん開放的である。それは日蓮宗の宗教的な教えから来るのだろうか? さらに関西にある殆どの寺院は入場(観)料を取るが、身延山久遠寺は取らない。

五重塔のちょっと離れた入口に近い側で工事用の塀があるが、これについて久遠寺の工事関係者と思われる方から帰り際にお話を聞いたが、約30人乗りのエレベーター(モノレール形式の斜めに動く)の設置工事中で、来年の2月頃完成の予定、久遠寺自慢の桜の開花季節に、さらに5月の五重塔・落慶法要がある、のに間に合うようにするとの事。これは、お年寄りの熱心な信者には朗報だろうと思う。

人物が入らない写真も撮ったが、熱心な信者の方が白いお揃いの半纏を羽織り、老僧と一緒に五重塔に向かって祈りを、お経を唱えていたところの写真です。

帰りは日蓮宗の身延山・七面山への参拝客で昔賑わった赤沢宿をチェック(11月14日に友人達と訪れる予定なので)して、南アルプス街道を北上して奈良田から丸山林道を経て、増穂町に出て帰る。住まいに戻ったのは夜の21:30分であった。さすがの私も異常な疲れを感じて、お風呂にも入らずに爆睡してしまった。

身延山・久遠寺に関しての私の関連ブログは: http://kaorun2480.blog.so-net.ne.jp/2008-10-17-1

P五重塔身延山久遠寺31OCT08.jpg
身延山久遠寺 五重塔
Mt. Minobu Kuon-ji 5-storey Pagoda, erected on this year of 2008 (A ceremony to celebrate the completion will be held on 5th November 2008).

P初重の色五重塔身延山久遠寺31OCT08.jpg
初重部分の詳細
The detailed picture for the first storey. 

近所の散歩 金沢文庫 称名寺(Walking in the neighbour hood, Kanazawa-Bunko, Shoumyou-ji) [古刹]

以前にも記しましたが私の散歩コースに金沢文庫・称名寺がある。住いを出て海際の釣り場を経て、小柴漁港に立寄り、海の公園から称名寺へ出ると往復でノンビリ歩いて3時間弱はかかる。称名寺の苑池にかかる平橋と反橋が赤く塗られ、いわゆる平安時代の浄土式庭園を模したもの。現在、平橋は完成しているが、反橋は来年の3月頃迄に完成するとの事で、今日でも天気がよければ現状の写真を撮って、このページに編集して載せます。

何時だったか、その苑池で、小サギが羽を休めていた。近寄っても逃げない。彼はあたかもこの苑池の主かのように悠然と構え、孤高の人、でなく鳥の雰囲気を漂わせていた。望遠レンズでなく標準レンズでこれだけ近寄っても平然としている野鳥は珍しい。そして、その眼光の鋭さに、私はたじたじとなり、「写真を撮らさせて頂きまして、ありがとうございました」と深く一礼してしまった。

ここからは午後の編集: 朝から天気が良く、称名寺に自転車で行き、境内の写真を撮りました。平橋の完成具合の写真、そして境内の建物もついでに撮りました。反橋は来年3月18日に完成予定との事。来年の桜の季節が見所になると思います。

P白鷺28FEB03.jpg
小サギ、英文名からすると、中サギか、そのあたりがはっきりしない。
An Intermediate Egret at the pond of Syoumyou-ji as if he is a master of this area.

P苑池工事中の反橋27OCT08.jpg
苑池の全体?像、反橋の箇所が工事中。左の平橋は完成。
The pond of Shoumyou-ji as a whole which you can see the wooden curved bridge is now in under construction. The flat wooden bridge is completed as shown on the left side.

P平橋27OCT08.jpg
完成済みの平橋。
The flat wooden bridge has been completed.

P称名寺惣門(赤門)27OCT08.jpg
称名寺惣門(赤門)、建立は1771年(明和九年)。
The Soumon is an entrance gate of Shoumyou-ji which means the symbol of worshipable place for the village at that age during AD1600 - 1800. The another name is Akamon (Red entrance gate).

P称名寺仁王門27OCT08.jpg
称名寺仁王門、建立は1818年(文政元年)、県指定重要文化財。
Nioumon of Syoumyou-ji, erected on AD1818, An important culutural property in Kanagawa.

P称名寺金堂17OCT08.jpg
称名寺金堂、建立は1681年(天和元年)。
Kondou of Syoumyou-ji, erected on AD1681.

P称名寺釈迦堂正面27OCT08.jpg
称名寺釈迦堂、建立は1862年(文久二年)。
Syakadou of Syoumyou-ji, erected on AD1862.




散歩 鎌倉円覚寺 (Walking for Kamakura area, Engaku-ji) [古刹]

いつも車で出掛けるのだが、鎌倉へは電車が便利だ、と云うより時々電車に乗りたくなる。大船から湘南モノレールに乗って、江ノ島で江ノ電に乗り換え、鎌倉に向かう。ここでも風変わりな電車好きなオジサンがいて子供でもしない様な馬鹿な仕草をするので家族は大変だろうなぁ~と思うが、写真に撮ってしまった。

鎌倉で下車して、北鎌倉までノンビリ歩き、円覚寺に行って見た。何度も来てるのだが、鎌倉五山の第二位故、規模の大きさに感心する。散歩のコースとしては、適当に凹凸があり前期高齢者(実に嫌な言葉だが)の運動には丁度良いかも知れない。人気がある寺院なので、人物が入らないように撮るのに神経を使った。

P湘南モノレール10JAN08.jpg
湘南モノレール大船駅
At Ofuna station of Syounan Monorail, the man who looks like a typical OJISAN loves to feel the front of coach.

P江ノ電10JAN08.jpg
江ノ電鎌倉駅
At Kamakura station of Enoden, the same OJISAN feels the front of coach.

P円覚寺三門09JAN07.jpg
円覚寺三門、建立は1785年(天明五年)
Sanmon (erected on 1785), the entrance gate of Engaku-ji, in order to clear off visitor's mind and body from the common world.

P円覚寺仏殿09JAN08.jpg
円覚寺仏殿, 建立は1964年(昭和39年)
Butsuden, Engaku-ji, erected on 1964.

P円覚寺方丈庭園09JAN08.jpg
円覚寺方丈庭園
The garden of Houjyou, Engaku-ji



五重塔 定義如来 西方寺 (5-storey Pagoda, Jyougi Nyorai Saihou-ji) 宮城 [古刹]

東北旅行の帰りに、急遽、寄ってみた。ちょうど去年の今頃、10月19日夕方四時を回っていた。仙台から西の方へ大倉ダムの先、大倉川沿いにグングン登って行った。天候が今にも降ってきそうなので、狭い道を急いで行った。着いたらなんと雨がポツリポツリと降って来たので、急いで層塔の所に行き、写真を撮らねければと気があせった。なんせ薄暗くなって、駐車場の車に三脚は置いてきたし、手持ち撮影になる。写真データーを見るとなんとシャッターは1/15、絞りF4.0、そんなにブレないで良く撮れたと感心する。

期待に反して、五重塔は立派で上品である。周りの景色ともマッチして、境内の公園風な所にあり、紅葉し始めた頃であった。昼間の晴天なら、もっと綺麗に撮れたろう。

建立は1982年(昭和61年)、文献によれば、「西方寺の開祖」とも言うべき平貞能公(後 定義と改名)の菩提を弔い、御報謝の意を捧げ、未来永劫の人類の平和を祈念するシンボルの塔」として建立されました。めずらしく総青森ひば白木造、屋根は杮(こけら)葺。今までの私の層塔、三重塔・五重塔で一番新しい層塔になる。でも来月、11月14日に身延山・久遠寺の五重塔を撮りに行くので、それが平成20年の建立になので、そちらが最新になる予定。

P定義五重塔19OCT07pm1612.jpg
定義如来西方寺五重塔
(Jyougi Nyorai Saihou-ji, 5-storey Pagoda, in Sendai, Miyagi)

三重塔 飛騨国分寺 (3-storey Pagoda, Hida Kokubun-ji) 岐阜 [古刹]

去年の4月に平湯温泉に行った帰りに寄ってみた。市街地にある飛騨地方唯一の層塔で、周りの雰囲気は私好みではない、が層塔そのものは容が良く、すっきりしている。そう見えるのは銅版葺のせいか。瓦葺だったら、このすっきり感は無かっただろう。

写真は桜を入れて市街地の印象を弱めたのと、もう一枚は層塔そのものを撮ったもの。建立は1820年(文政3年) 銅版葺、県指定重要文化財。

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平湯温泉の案内板のところで
My picture standing beside the directionboad of Hirayu Onsen

P飛騨国分寺三重塔12APR07.jpg
Hida Kokubun-ji, 3-storey Pagoda, Important Cultural Property in Takayama, Gifu

P飛騨国分寺三重塔f24APR07.jpg
飛騨国分寺三重塔
Another shot of Hida Kokubun-ji 3-storey Pagoda.
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